模擬天守や復元天守を作るのはいいのですが、
作るならちゃんと専門家監修の元で作っていただきたいです。。。
郡上八幡城でもそうでしたが、狭間が表裏逆のところが多すぎます。
韮山で見た台場や、元親さんの逸話じゃないけど、
実戦経験がなく、物事を理解していない人が作るものって、形だけなんですね。
天守は復元ですが、二の丸御殿は現存です。
といっても山内一豊時代ではなく、幕末(それも明治維新直前)に再建されたものです。
ここで、私は思わぬ収穫を得ました
この写真を撮ってるときに
「ぅおーい。なんで水色桔梗がこんなとこに・・・」
と、かなりゲンナリしていたのですが、
御殿の釘隠しに桔梗が
よくよく見てみると瓦にも桔梗の紋がついています
これは、かの太田道灌の子孫の家紋だというのです。
(早雲さま時代の関東勉強中の)kaiさん、思わずテンションUP(=°▽°=;ノ)ノ
まさか、あの道灌さんの一族が掛川でお代官を務めていたとは!
直系ではないでしょうが、どういういきさつで掛川入封になったのでしょう?
あ、でも・・・
最後の城主が桔梗の紋だったけど、あの水色桔梗は明智氏の幟でしょうから、
変えたほうがいいと思いまするぞ