ただいま絶賛、相模を放蕩中のkaiです。
当ブログでノロノロ、ちまちまと早雲庵こと伊勢宗瑞(通称:北条早雲)のレポをしておりましたら、
居ても立ってもいらなくなり、小田原出陣であります
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旅行一週間前に読破したこの本。
とても読みやすいので、一番のお気に入り本です(※kaiさんが読破した本はアメーバの涙です)
本書の名言を載せながら、これまで勉強してきて感じた早雲像をつづります。
早雲庵曰く
「国を支えるのは、武でもなければ財でもない。人である。
国の主が高き志を持ち、
優れた才を持つものが主を支えれば自然と国は栄え、
民は幸せに暮らしていけるものだ」
「領主が欲張らずに贅沢を慎み、
民とともに苦しむ覚悟を決めれば、
誰も餓死することなく生き延びることができる」
戦国大名の筆頭で“梟雄”のひとりに上げられますが、
この2つだけでもとてもそんな人には思われません。
早雲庵(伊勢宗瑞)の定めた租税の税率は六民四公(農民の手元に6割残る)です。
他国では五公五民や七公三民だったので、農民には信じられないほどの低税率だったでしょう。
「運に恵まれただけではないか、策謀を弄しただけではないか、
そう早雲庵どのを誹謗する者も少なくないが、
それだけで伊豆・相模の二か国を制することができるはずはないし、
たとえ、それでうまくいったとしても長く国を保つことができるはずもない」
本書に登場する足利学校の庠主(しょうしゅ。校長の意)の言葉です。
伊豆を取ったあと、小田原を奪取するわけですが
理由は、所領一国で低税率では国政がうまくいかなかったからでしょう。
(※奪取ではなかったという説もある)
しかし本書で早雲自身が言っているように
早雲が支配したほうが民は幸せだったに違いありません。
低税率のほかにも、
はやり病を診察したり、明応の大地震の復興をしたそうです。
大名でもなかった早雲がのし上がれたのは農民たちの支持を得たからということですね。
余談。
その庠主が早雲を「仁義の人」と称しているのですが、
“仁義”というと(無双ユーザーの私は)劉備を思い出します。
劉備は草履づくりで生計を立てていましたが、
早雲は鞍づくりをしていましたし、国無しから国主への飛躍と似てるところは結構ありますね。
一方、本書に登場する伊奈十兵衛なる人物が
「早雲庵さまが漢土に生まれておられれば、
秦を倒し漢王朝を立てた劉邦や、三国時代の曹操と肩を並べる英雄となられていたことでしょう」
と早雲を称するのですが、これって嫌味ですよね
だって、
曹操は『治世の能臣、乱世の奸雄』だから
(戦国時代はもちろん治世ではないので)早雲さんは奸雄だということでしょ?