馬場から出発して、最初にたどり着いたのは“甘粕景持”さんのお屋敷。
有名な川中島の戦いで上杉軍の殿を務めた方です。
現在ある登山道が当時も道だったわけじゃないだろうし。
縄張図は“日本城郭大系”で手に入れたのですが、
細かすぎて逆に何がなんだかさっぱりわかりませんでした{さすが山城
林泉寺宝物館にあった古地図、どこかの本に載ってないかな・・・。
(金津新兵衛などちょっとマイナーな武将の名前も載ってて、見てて楽しかったです)
そのすぐ上の曲輪にあるのが“三の丸”
“上杉景虎”公のお屋敷と“米蔵”があります。
説明文・・・。
下が切れてるぅぅぅorz
「三の丸屋敷跡
春日山城では最も良好な状態で土塁が残る「米蔵跡」、謙信公が自らの名を与えて
住まわせた養子「三郎景虎屋敷跡」などを総して「三の丸屋敷跡」と呼ぶ。
それぞれの屋敷は段違いに作られて区分され、「景虎屋敷跡」の東端に入口が設けられ、
今も道が残っている。
「米蔵跡」の名が示すように、城機能の中心施設がおかれた場所と考えられている。
三郎景虎公は謙信公の死後に起こった「御館の乱」で破れ 悲運の市を遂げた。
公を慕って屋敷跡を訪れる人も多く。今、春日山城の中で最も注目を集めているところである」
この説明版がいつ立てられたのかは分かりませんが、
いまだと直江屋敷と景勝屋敷のほうが訪れる人が多そうだなぁ。