ヤフートピックス、ラジオ、新聞でも報道されていた“小牧山城の石垣に墨書”
【小牧山城の石垣に墨書人名 国内最古の確認 by中日新聞 (詳細はこちら )】
さっそく見てきました
残念ながら(当然ながら?)発見された石はもちろん、案内板も撮影禁止でした。
でもレジュメがありますし、ガイドの方から詳しいお話が聞けました。
出土状況:
裏込石(栗石)の流れ込みの中から発見されたもので、裏込石なのか根石なのかは不明。
墨書:
伝聞資料では安土城のものが最古とされてきたが(資料があるだけで発見されてない)
それを13年さかのぼる発見。
信長時代とする根拠:
家康(小牧長久手の戦い)時代は3~4日の改修であり、土塁メインで石垣を使っていない。
裏込石が小牧山にない花崗岩で、小牧近辺でそれがとれるのは岩崎山だが
小牧長久手の戦い時、岩崎山は秀吉軍の陣があったためそこから調達したとは考えにくい。
私はこの“墨書”というものを初めて見たのですが、名古屋城では多く見つかっているのだそうです。
刻印はたっくさん見たけど、墨書なんてみたことないぞ?{展示されてた?
私「他にもあるかもしれないですね。柴田とか」
「いや、柴田はどうかな・・・。あれはあとから家臣になったからなぁ・・・」
あ。スベッた・・・
だって、老親でこの時代まで生きている人で知っているの佐久間信盛と柴田勝家くらいだったんだもん
今、思えば林佐渡(林秀貞)もいたなぁ。
でもさ。
信行事件解決後だし(許されているわけだし)普請はさせられてたんじゃないかなぁ?
この墨書が残ったのは、土やほかの石垣の石に日光や雨から奇跡的に守られたからと聞いたのですが、
この石、立ち入り禁止のロープを張った台の上に「ゴロンっ」とおいてあるだけでした。
これから雨が多くなるでしょうに、ガラスケースで覆わなくて大丈夫なのでしょうか?
{ダイジョーブ?
小牧山城は江戸時代に徳川家が所有、家康ゆかりの地として立入禁止とされました。
明治維新時に国有となりますが、名古屋の練兵所と小牧山の所有権を交換し、
再び立入禁止とされたため遺構が多く残っているのだそうです。
小牧山と名古屋の土地交換だなんて、断然不利ですが徳川家は遺構(家康ゆかりの地)をとったのですね
そのおかげで、今いろんな発見がされている
感慨深いですね
(ただその結果、名古屋城天守が消失したともいえますね。
名古屋城天守が現存だったら、間違いなく世界遺産だったでしょうから、それはそれで残念です)
他にもまだまだ新発見が見つかりそうな小牧山ですが、資料館があるせいでその下が掘れないそうです。
発掘調査ができたら天守の位置もわかるかもしれないとガイドのおじさんは残念がっていました
今回思ったこと:ガイドの人にによって楽しみ度が大いに変わる
(盗み聞きして、知識が豊富&おしゃべり好きなガイドさんに話しかけましょう)
墨書石の展示は6/22まで、その後は同市の別の資料館に貸し出されるそうです。