伏見櫓前の二重橋。
現在は鉄橋と石橋の2つの橋があるからそう名づけられたと思われがちですが、
命名はこれらの橋ではなく、江戸時代にさかのぼります。
江戸城の堀はとても深く、往時の技術では1重では橋を建てることができませんでした。
そこで、途中まで柱を立て、その上にもう一段柱を立てて橋をかけたのだそうです。
現在は鉄橋に変えられてしまっているので“二重橋”は名前だけ残っているわけですd(・▽・)
楠正成公銅像
前日に見つけられなかった楠正成公の銅像。勇ましいですね~!
楠公の居城は千早城(や赤坂城)で、江戸城とは関係ありませんが、天皇に忠実だった臣なので
皇居に建てられたそうです。
お昼ご飯は本丸で食べたんですよ~!
気分はもう旗本やお姫様です(私は女中ね)
江戸城本丸は藤堂高虎が縄張したんですって。
“○に十字の刻印”がありましたし(島津の家紋かは定かではない)
富士見櫓の石垣は加藤清正だそうですから、各地の大名総動員だったんですね。
天守台と富士見櫓の石垣を比べてみましょう~。
富士見櫓のほうは“野面積”のようです。
ちょっと分かりづらいですが、扇の勾配がありますね。
縄張図や遺構を見て「これは高虎の築城だな」とか「これは武田氏の城だな」ってわかるようになれたらいいな~