小牧山城の現地説明会 | kai遊録

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実は今日、信長に関する2つの現地説明会があったんです。



【小牧山城に先進的石垣 信長の近世城郭、安土より13年早く】
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【道三の城下町遺構を初確認 信長「火攻め」の跡】
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時間帯的に参加できる“小牧山城”に行ってきました。



目指すは城女-小牧山城
※上の写真は2010年4月のものです



こういう説明会に参加するのは初めてなのでビクビクしました(゚ω゚;)


案の定、城郭史に詳しい方が多いようで肩身が狭い思いをしましたが、とても勉強になりました(^^人




こういう築城の知識をもっともっとつけたいです(><)


発掘者のかたはどういう勉強をされるんでしょうか。というよりそういう職につくにはどうしたらいいのかな?



目指すは城女-石垣(野面・布積み)

目指すは城女-石垣(野面・布積み)


石垣の様子(野面積・布積み)


野面積は3.0mが限界とされてきましたが、なんと初めての築城にも関わらず3.8mも積み上げていたのです。




目指すは城女-石垣に使用された巨石

石垣に使用された巨石と栗石(裏込め石)


巨石は平均2.0tほどだそうで、中には3~4tのものもあるそうです。

(ちなみに名古屋城の石垣の石は500~600kgだそうです)




目指すは城女-刻印(名古屋城築城時?)

○に十字の刻印。
名古屋城の築城時に小牧山の石を持ち出そうとしたのか?



目指すは城女-版築土


築城史のなかでも最古級の小牧山城。


山の地形をそのまま利用したのかと思いきや、2mも盛り土(版築というらしいです)をしていたというのです。




石垣の技術といい、築城主はどこからそんな知識を得たのでしょう?




築城主・・・言わずもがな“織田信長”さまです(>ω<)ノ



さすがは“大うつけ殿”




死して400余年現代人をも驚かせていらっしゃいます!Σ(゚д゚;)