

録画してあったNHKスペシャルを観た。
ひさびさに、とてつもない感銘を受けたので記事にします。
内容は観て確認して欲しいのですが、
ざっくりいうと、1958年7月に「拓洋」「さつま」という2隻の海上保安庁の測量船が、
アメリカの水爆実験にて被曝し、被害者を出している「かもしれない」という事実への検証。
まず、私はそのような事故があったこと自体を知らなかった。
生まれる10年も前の出来事なのだから当然とも思われるかもしれないけれど、これ以前の第五福竜丸事件のことは小学生の時には知っていたのだから、
一切知らなかったことにまずは驚いた…
言いたいことは、隠蔽しようとした当時のアメリカや日本政府への弾劾ではありません。
被害者への憐憫でもないのです。
ようは、水爆実験による被曝者が第五福竜丸事件以降にも存在したということ。
それによって、死亡者が出ている「かもしれない」という事件。
それが、政府の都合によって意図的に隠蔽され続けていた「であろう」事実。
ここで「かもしれない」「であろう」という言葉が付随するのは、
NHKの番組スタッフが断定することを避けているためになります。
私は、この姿勢にとても感銘を受けたのです。
淡々と調査した事実を並べ、それをどう考えてどう感じるかは、完全に視聴者に委ねています。
しかも、その取材力と取材姿勢が半端ない!
大事なことは、それぞれが考えることであり、一方的な意見や感情を吐露しがちな報道や人物が多い中で、
特筆すべき番組制作姿勢だと思ったのです。
番組の最後で、被害者の親族が事実を知ることなくこの世を去っていきます。
ここは、感動ポイントであると同時に、もっとも深く考えさせられたシーンでした。
なぜなら、この「疑惑」に対して問題提起されたのが事件発生から66年も後のことであり、
関係者が世界からほぼほぼ消滅する瞬間まで明るみにならなかったという事実を厳然と突きつけられたからです。
つまり、それ以降にも、いろいろな「政治的な都合」の中で、
さまざまな「事件」がなかったことにされてきたに違いないということへの確証につながるからです。
1985年の大きな飛行機事故を筆頭に、疑わしい事象はいくつかあります。
最近の新型種痘や2011年の放射線事故の影響に関する公式見解も、かなり闇を孕んでいそうですよね。
それどころか、私の知らない今回の「第四の被曝」疑惑のような事件がまだまだたくさんあるような気がします。
そしてそれは、私が生きている間には明るみにならないであろう予感。
大切なのは、それぞれの事件の関係各機関や各員を糾弾することではありません。
世の中はそういう仕組みで回っているという事実を受け止め、自分で情報を集めて自分で考えて判断するということだと思いました。
NHKには、こういった姿勢の取材をこれからも積極的に続けていって欲しいと思いました。
