日曜日の「コミセンクラシック」でピアニストの赤間亜紀子さんが、シューマンの「献呈」という曲を弾く前に、曲のエピソードを話してくれたのですが、その話がとても新鮮で心に残っています。

 

シューマンが、「クララと晴れて結婚できる!」という1840年、クララのために作った歌曲集「ミルテの花」の第1曲がこの「献呈」で、この歌曲をリストがピアノ用に編曲したものだそうです。

 

(ミルテ=銀梅花 花嫁のブーケによく使われる)

 

この1840年はシューマンの「歌の年」と呼ばれているそうで、それまでピアノ曲を中心に作曲していたシューマンが突然大量の歌曲を作曲した年なんだそうです。

 

この「ミルテの花」も、「あなたは美しい、すばらしい」というのをベタベタとひたすら繰り返す、今の日本で絶対ヒットしそうにない歌詞のようですが、それほどにクララに対する愛が創作活動に影響したということなんでしょうね。

 

その「ミルテの花」の歌詞を書いたのがリュッケルトという詩人で、シューベルトがこのリュッケルトの詩で何曲か歌曲を書いているのを知って、シューマンはリュッケルトの詩を使ったとか。

 

シューマンはシューベルトをとても敬愛していて、シューベルトの死後、シューベルトの兄を訪ねたときに大量の未発表の楽譜を発見し、それがきっかけで歌曲以外の作品が世に出ることになったそうです。交響曲第8番「グレート」がその中でも有名らしいです。(第7番「未完成」以外、聞いたことがない私ですが)

 

さらにさかのぼって、シューベルトはベートーベンをとても敬愛していて、ベートーベンが亡くなった時に、「私の墓はベートーベンの隣りしてくれ」と遺言を残したそうです。

ベートーベンとシューべルトは27も歳が離れているのですが、なんとベートーベンが56歳で亡くなった翌年に31歳の若さで亡くなっており、この遺言は実行されたそうです。

 

この作曲家つながりはまだ続きがあって、自宅に訪れた20歳のブラームスの才能を見出したシューマンは出版社に精力的に売り込むなどの労を惜しまなかったのだそうで、ブラームスはその恩を忘れず、シューマン亡き後もクララやその子どもたちの面倒を見たとか。

(クララに対する恋愛感情もあったらしいですが・・・)

 

というわけで、なんとも美しい19世紀ウイーンの音楽家つながりでした。

 

それぞれの作曲家の生年と没年を調べてみると、ちょっとずつずれて次の時代に音楽が受け継がれているのがわかります。

 

こういうお話を聞けば、退屈な音楽の授業も少しは面白くなって、クラシック音楽の歴史的な流れもすんなりと頭に入っただろうに・・・

 

ベートーベン 1770-1827(56歳没)

シューベルト 1797-1828(31歳没)

シューマン  1810-1856(46歳没)

ブラームス  1833-1897(63歳没)

 

シューベルトは特別としても、皆さん早くに亡くなられているんですね。

私より長生きした人が一人もいない・・・

この時代としてはそれほど奇異ではないのかもしれませんが。