【散歩】たみ散歩「京都・伏見桃山」Vol.40 日本有数の酒処で有名な街並みを散策する!⑨ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「京都・伏見桃山」Vol.40 日本有数の酒処で有名な街並みを散策する!⑨

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※注:この記事はコロナの影響で外出禁止措置が出る前のぶらり散歩の記事です。

 

引き続き、京都随一のグルメスポットとしても知られる伏見区の伏見桃山を散策致します(前回の記事はこちら)。

「長建寺」内にある「カエル」。



昔、伏見は「伏水」と書きました。良質の水が湧きそれがお酒をはじめ水と関係のある食品となったんです。「カエル」という石はカエルという意味から熱心な信者さんが奉納されたんだそうです。

立派な灯篭がございます。



「長建寺」にあるお庭。



このお庭ただのお庭ではなく護摩の「炉」なんです。



護摩とは、護摩壇中央にある炉の中に供物や護摩木(願いが書かれた特別な薪)を入れ、本尊不動明王の智慧の火で煩悩を焼き尽くし、密教の修法によって皆様の所願が成就する事を祈る行法です。



火の神が煙とともに供物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたもので火の中を清浄の場として仏を観想します。



護摩は、紀元前2000年頃インドで始まり平安時代の頃に日本伝わったとされています。

「長建寺」を参拝した後はさらにぶらり散歩を続けます。




伏見港・宇治川派流は文禄三年(一五九四)豊臣秀吉の伏見城築城にともなう建築資材を運ぶため、宇治川の流路改修工事によりつくられた内陸の河川港です。

又、向側を大倉浜と言い明治22年東海道線の開通を見るまで、この浜で米が降ろされ、酒が積まれていました。この北側は「伏見南浜港」といわれて江戸時代は参勤交代の御座船を初め、三十石船、伏見船の発着点として日本でもめずらしい河港であったとされます。

伏見城の外堀であった濠川につながる宇治川派流沿いには江戸時代に問屋、宿屋、酒蔵が建ててられ、米や薪炭、できた酒などを運ぶ小舟が往来していました。現在も柳に酒蔵が映える往時の佇まいを残しています。 淀川三十石船をはじめとする大小の船で賑わった伏見港の中心地は現在の京橋付近でした。 

前を流れる宇治川派流の両岸は総称して伏見浜と呼ばれる荷揚げ場で、辡天橋の西は主に材木を荷揚げしたことから本材木町という町名が残されています。 月桂冠旧本店のある付近は馬借前として、大阪からの旅人や船から荷揚げされた物資が馬や荷車に積み替えられ、陸路を行くための中継基地として繁栄を極めました。 なお、このあたりの浜は辡天浜とも言われています。



昔、洛南三大奇祭の一つ7月23日の夜「長建寺の大祭辨天祭」は船上で行われる大柴燈護摩法要(だいさいとうごまほうよう)で関西一円に有名でしたが、その船渡御はこの浜から出発して宇治川に出たといいます。(洛南保勝会より)

寺田屋さんがから見えた「蓬莱橋」まで戻ってきました。



ここから表町を通り、中書島駅方面に歩いていきます。「パワーストーン京屋」



ここもある意味、伏見のパワースポットとも言えるのかもしれません。これまた素敵なお店を見つけました。

小倉山荘 伏見店」。



甘醤油せんべい「嵯峨乃焼」で有名なお店。素朴な味わいながら食べ始めると止まらない「嵯峨乃焼」は、飽きの来ないお茶請けの逸品。大手でデパートにも入っているで食べたこともある方も多いはず。

こんなところに子安観音様が。



京の町には至るところにこのような菩薩を見ることができます。

「不動明王」



一般的な仏教でのご本尊や仏像は優しい姿をしたものが多いですが、不動明王は悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目を担っていることから恐ろしい表情をしているとされています。

「京橋」まで歩いてきました。



この京橋の側には「伏見口の戦い激戦地跡」がございます。



鳥羽伏見の戦いでは、薩長を中心とした新政府軍と、幕府歩兵隊・会津藩兵・新選組など旧幕府軍の間で激しい戦闘が行われたことは有名ですよね。旧幕府軍の本拠地・大坂と直結した伏見の水運の中心地・京橋付近でも激烈な戦いが繰り広げられました。

江戸時代、京へ向かう高瀬舟、大坂へ向かう三十石船、山城へ向かう淀二十石船、宇治へ行く芝舟など、千数百隻にもおよぶ船運で賑わった伏見港の中心がこの京橋付近だったんです。

幕末の慶応4年(1868年)1月2日、鳥羽伏見の戦いが始まる前日夕刻、会津藩の先鋒隊約200名が大坂から船で伏見京橋に上陸。ここ伏見御堂を宿陣として戦いました。伏見奉行所に陣を置いた幕府軍や新選組が民家に火を放ちながら淀方面に敗走したので、このあたりの多くの民家が焼かれ、大きな被害を受けました。(現地説明板より)

寺田屋さんもその時焼け落ちたんでしょう。

今日はここでお終いです。いよいよ伏見もラスト。お次は「【散歩】たみ散歩「京都・伏見桃山」Vol.40 日本有数の酒処で有名な街並みを散策する!➉」をお届けしますのでお楽しみに!

 

written by たみと