【京都】京都・伏見の「寺田屋」。幕末期の寺田屋の女将「お登勢」の船宿を訪れる!⑥ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【京都】京都・伏見の「寺田屋」。幕末期の寺田屋の女将「お登勢」の船宿を訪れる!⑥

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引き続き、幕末に薩摩藩士の同士討ち、及び「坂本龍馬」が役人に襲撃された事件が起こった寺田屋さんをご紹介します(前回の記事はこちら)。

再び1階へ降りて参りました。「招福の庭」。



ここでお龍さんが水汲みをしていましたよね。龍馬伝での寺田屋さんはNHK内にセットで組まれていたので、ここで水汲みをしていたわけではないようです。古いつくばいを中心にした中庭で風情がございます。



いよいよお風呂を覗いてみます。

 

幕府捕り方に囲まれたときに、お龍さんが入っていたという風呂桶です。お風呂は一人は入れるかどうか。素泊まりということなので、さすがにこの風呂桶でお風呂というわけにはいかんようです。



1階はほぼ資料館となっています。1階から「招福の庭」を眺めても素敵です。



龍馬好きならばここで丸一日過ごせるほど、楽しい場所と言えるかもしれません。



「絵馬」もこんなに。



「この部屋が寺田屋騒動のあった場所」とあります。



現在は資料館ですので、寺田屋騒動や龍馬に関するあらゆる書物が置かれています。



龍馬とお龍さん。



寺田屋の襲撃後、伏見の薩摩藩邸に匿われていた龍馬は「西郷隆盛」から提案を受けて治療と療養のために薩摩へ向かうことになるわけですが、このときお龍さんもついていくことになりました。仲睦まじい夫婦ですね。



本当に見所満載の寺田屋さんでした。



如何でしたでしょうか。幕末に薩摩藩士の同士討ち、及び「坂本龍馬」が役人に襲撃された事件が起こった京都は伏見にある船宿「寺田屋」さん。

幕末の志士はこの船宿で「日本を今一度 せんたくいたし申候」という志を持っていたに違いありません。私も今一度自分自身をせんたくいたし申候とさせて頂きます。

読者様も忘れてていると思いますが、次回からはまた、たみ散歩「京都・伏見桃山」の続きをお届けしますのでお楽しみに!

 

written by たみと@いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方