【散歩】たみ散歩「長野・伊那市駅」Vo.35 伊那市の中心駅として機能する街並みを散策!③
引き続き、伊那市の中心駅として機能し、商店街も活気がある魅力盛りだくさんの街「伊那市駅」をご紹介いたします(前回の記事はこちら)。
高速で伊那市に行く場合はこの伊那I.Cから来るとよいです。
伊那公園方面に向かって進みます。
割烹料理のお店「鶴家」さん。
うなぎですか。スッポン料理も気になります。なんといってもまだ早朝8時すぎです。お昼には早すぎますね。
「中央区」の信号交差点。
国道361号と「伊那生田飯田線」が交わる交差点ですので、車通りも多いです。ここから「伊那公園」へ向かいます。
中央区の交差点方面から登ると結構鬱蒼としています。
しかし眺めは抜群でございます。
木曽山脈が見渡せます。そう、今回は台風の影響で「千畳敷カール」へは行けませんでした。
伊那公園へ上ると「伊那東大社」がございます。
伊那東大社は明治時代の神社合併策により竜東地区にあった69の神社が合祀されたものです。
伊那市には約100社の神社がありますがその中でも最も大きな(氏子の多い)神社が「伊那東大社」なんです。
年間を通じて、初宮詣(お宮参り)、安産祈願(帯祝い)、交通安全祈願、七五三、厄除、神前結婚式など諸祈願を執り行っています。
伊那東大社のお隣には二つの義勇軍碑がございます。
満州国開拓青少年義勇軍は昭和十二年我が国の国策にして、満州国の広大にして肥沃なる未開の原野を開拓し 食糧の増産と友好国大満州国建設の夢に強健なる体力と精神力を得た青少年による移民団であり、又の名を鍬の戦士と呼ばれました。昭和十二年先遣隊渡満以来、終戦まで数百万の青少年が大望を懐いて渡満した。然るに昭和二十年八月十五日終戦により日本引揚を余儀なくされました。この間異郷にありて大理想郷建設の為日夜激務精励し、其の尊き犠牲となりん、又不幸にして病魔に仆れ、又は大東亜戦争に出征し命を戦場に散した全県下の拓友の尊い数多の御霊を慰めんがため、戦後三十一年を迎えた今日生還せし同志相集いて此処に碑を建立し、其の聖霊を祀る。(碑文より)
「満蒙開拓青少年義勇軍」の「慰霊碑」は全国に見られますが、「満蒙開拓青少年義勇軍」の送出数のトップは長野県なんです。まだ幼い子供を、「軍」が満州に来たと思われるために、「満蒙開拓青少年義勇隊」と呼ばれたんです。こうした事実があったことを我々は後世にも伝えていかないといけません。
「伊那節発祥之地」。
伊那節は長野県伊那地方の民謡。祝儀歌・盆踊り歌としてうたわれ、地域の方にとってはなじみが深い踊り歌なのではないでしょうか。
ハァー天竜下れば しぶきに濡れる(ハオイヤ)
持たせやりたや 持たせやりたや 桧笠(ハ ソリャコイ アバヨ)
今日はここでお終いです。お次は「【散歩】たみ散歩「長野・伊那市駅」Vo.35 伊那市の中心駅として機能する街並みを散策!④」をお届けしますのでお楽しみに!