【散歩】たみ散歩「千葉・上総一ノ宮」Vol.34 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!③ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「千葉・上総一ノ宮」Vol.34 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!③

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今京の都から帰ってきました。江戸の街は約二週間ぶり。僕は京の都にも住所を構えていますので、次はいつ京に戻ろうかを思案中です。小生のようなデュアラーの記事も取り上げられていましたね。記事はこちら)。引き続き、千葉県の外房にあるJR東日本の外房線の「上総一ノ宮駅」の記事をお届けします(前回の記事はこちら)

カフェレストラン「Emi」。



一宮海岸線沿いには沢山面白いお店がございます。

ここは「風船爆弾打ち上げ基地跡」。



風船爆弾は、旧日本軍がアメリカ本土への攻撃のために開発したもので、和紙をこんにゃく糊で張りあわせて作った直径10mの気球に、爆弾や焼夷弾を吊り下げて飛ばした兵器です。この計画は「ふ」号作戦と呼ばれ、一宮、茨城県の大津(北茨城市)、福島県の勿来(いわき市)の計3カ所の打ち上げ基地より、昭和19年(1944)の11月から翌年にかけて合計で約9000個が打ち上げられました。そのうち300個弱がアメリカ本土に到達したといわれ、オレゴン州では民間人6名が犠牲になりました。

一宮の打ち上げ基地は打ち上げのためのコンクリート台が数基据えられたといい、風船爆弾の資材の運搬のために、打ち上げ基地に向かった上総一ノ宮駅より引込線(線路、現在の一ノ宮停車線に沿う)が敷かれました。戦後、基地は旧日本軍によって破壊されたため、現在は当時の面影は残されていません。

今は軍事技術も格段に向上しているし、SFの空想の世界だったレーダー砲も開発されていますよね。「ロンギヌスの槍」なんてのも開発されてきますし、世界大戦になったら大変なことになります。

ここは「加納藩台場跡」。



江戸時代後期に、アメリカやイギリスなどの外国船の渡来が増え、幕府はそれらの国からの外圧対策を重視。一宮藩主の加納久徴はそれに応じ、大砲を鋳造し、この辺り5ヶ所に砲台を構築したそうです。



この砲台は幕府が築いた品川砲台より八年も早い、天保十五年(一八四四年)八月の完成で、藩主加納久徴の見解と実行力が高く評価されました。尊王攘夷と開港論渦巻く混沌たる幕末において、加納久徴こそ日本国土防衛の先駆者と称すべきであろう。

あの時代は尊王攘夷論は吹き荒れましたからね。そうはいっても異国に砲撃を放ったのは長州藩だけでしたので、ここから砲撃を打つことはなかったんでしょうか。

三軒茶屋の大人気店「オオモリヤ」の千葉店浜茶屋「オオモリヤ 一宮海賊店」。



サーフィンした後にここで飲んだら気持ち良さそうです。ここから「一宮川」方面に歩いて行きます。

EN 燕 the garden



千葉外房フカヒレと新鮮な地元野菜や旬の食材をふんだんに使い、 果物をアクセントにした薬膳中華を頂けるお店です。また上総一ノ宮に来たらここで中華を食べよう。

一宮川沿いを歩いて行きます。



芥川龍之介ゆかりの宿ホテル「一宮館」がありました。



もう各地を行くのに旅館やホテルを利用することもなくなるかもしれません。このお店はなんだろう。



この辺り、地味に良さげなお店沢山あるんだよなあ。一ノ宮川を渡ります!



一宮川は、千葉県の九十九里平野南部を流れる二級河川。流域は夷隅郡大多喜町、長生郡長柄町、長南町、茂原市、長生村、睦沢町、一宮町の1市6町村にまたがります。



これ台風前だったんですけど、もしかしたら・・・



一ノ宮川を渡って今度は「天道跨線橋通り」を歩きます。



どこへ向かっているかと申しますと、駅方面に向かっているのであります。



素敵はカフェを見つけました。上総一ノ宮の「ハレ」でございます。



ここでちょいとおじカフェすることにいたします。今日はここで御終いです。お次は、「【散歩】たみ散歩「千葉・上総一ノ宮」Vol.34 一宮海岸から海のパノラマビューを眺める!④」をお届けするのでお楽しみに!

written by たみと@プロマリ