【散歩】たみ散歩「東京・国分寺」 Vol.24 国分尼寺の歴史ある街並みをぶらり散歩する!⑧ | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【散歩】たみ散歩「東京・国分寺」 Vol.24 国分尼寺の歴史ある街並みをぶらり散歩する!⑧

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引き続き、薬師如来を安置する本堂をはじめとした堂塔伽藍がそろい、八日堂のお薬師さんの名で近在の信仰を集めている国分寺のぶらり散歩をお届けします(前回の記事はこちら)。

 

※You can see the tripsteem article from the link below.
(以下のリンクからtripsteemの記事を見ることができます。)

 

https://jp.tripsteem.com/post/tt20190126t180454276z

 

いよいよ国分寺の北口を散策します。

 

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「本町四丁目」。

 

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ここにも国分寺の歴史を紐解く謂れがご紹介されていました。

 

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医王山最勝院国分寺は、真言宗豊山派の寺院です。伝承では「分倍河原の戦い」で焼失した武蔵国分寺は新田義貞の寄進により薬師堂が再建されたと伝わっています。江戸時代に入ると徳川幕府は、由緒ある寺社に領地を与えて保護しました。国分寺の薬師堂も三代将軍家光から慶安元年(1648)に九石八斗九升八合の寄進を受け、朱印状を下付されました。以後、十四代家茂までの朱印状が残っており、享保18年(1733)には本堂も再建されています。現在の本堂は昭和62年に改築されたものです。

 

「恋ヶ窪東遺跡」

 

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縄文時代の中期末から後期にかけて、関東から中部地方で住居の床面に石(礫)を敷くことが流行しました。この住居跡は、出入口部が突出した様子から「柄鏡形敷石住居跡」と呼ばれています。

 

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中部以西では何が流行したんでしょうね。土が流行したのか、木だったのか。

 

空高く伸びているのは「シティタワー国分寺ザ・ツイン イースト」でしょうか。

 

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地上35階、高さ124.8m。

 

国分寺駅の目の前に建つのは「シティタワー国分寺ザ・ツイン ウエスト」ですね。こちらは地上36階、高さ134.9m。

 

「本町四丁目商店街」。

 

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先日ご紹介したお寿司屋さん「治鮨」です(記事はこちら)。

 

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元プロボクシング世界チャンピオンの輪島功一さんが経営する「だんごの輪島」がありました。

 

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輪島功一語録。「よく“近頃の若者はなってない”とか言うじゃない。そういうことが本当にあるのならそれは若者じゃなくて若者を指導し手本を見せるべき立場の上の世代がなってなかったんだよ。親がいい背中を見せずにいい子が育つと思うかい? こういうこと言うと“また面白くもないこと言いやがって”と思うだろうけど本当のことは面白くないもんなんだよ。」

 

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僕もそう思います。教え方というのはその時代にあった教え方をしないといけないと思います。

 

今はネットで簡単にありとあらゆる情報が手に入る。教える側は今までにないクリエイティブなやり方をやろうとする若い世代の考え方を受け入れ、一方的に旧来の考え方を押し付けるのではなく、「その考え方って面白いじゃない。やってみなよ」と出る杭は伸ばす教育をしなければいけないと思います。

 

そのような教育方針であれば若い人も腐らずに済むんじゃないかなと思います。

 

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話が逸れてしまいました。国分寺北口にやって参りました。

 

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らーめん武道家 口」。

 

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この後、そのラーメンを頂きます。

 

「本町二丁目北」交差点。

 

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賑やかになって参りました。

 

「電車開通記念碑」がありました。

 

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明治22年(1889年)に、新宿・立川間で開通した甲武鉄道(現在の中央線)が政府に買収され、その後大正11年に国分寺駅まで電化が進み、電車が通ることになったのを記念して、同年11月21日に建てられた碑だそうです。

 

ファンフル 洋菓子店

 

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昭和52年(1977年)創業の老舗洋菓子屋さん。昔ながらのモンブランやサバランが美味しそうです。

 

国分寺駅北口を本多方面に歩くと「本多札ノ丘商店会」の街並みを目にします。

 

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金物店、衣料品店など、三十数軒が軒を並べています。

 

「本田公民館」辺りまで来ました。

 

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すき家国分寺本多店」の姿が見えます。

 

自家焙煎の無農薬・有機栽培コーヒー豆と有機栽培紅茶の専門店「ろばや」。

 

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国分寺のコッペパン専門店「ぐーちょきパン

 

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どちらのお店も気になりましたが、閉まっておりました。こういう専門店大好きです。

 

「本田二丁目」の交差点。

 

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東京都国分寺市牟礼六丁目交差点から小金井市方面へ伸びる「連雀通り」に出ました。正式名称は「東京都道134号恋ヶ窪新田三鷹線」で御座います。


東京都国分寺市本多にある黄檗宗の寺院「祥應寺」。

 

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阿弥陀信仰の盛んな寺院として知られています。江戸時代の地誌(武蔵名勝図会)によると、地元の住民が跡地から鉄の阿弥陀像二体を掘り出し、のちに府中の六所宮(大國魂神社)に阿弥陀堂を建てて祀ったんだそうです。鉄(くろがね)の仏が掘り出されたことからこの地は「黒金」と呼ばれております。

 

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祥應寺のお隣には「本多八幡神社」が御座います。

 

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本多八幡神社は、国分寺市本多にある神社です。国分寺駅北側が、旧町名「本多」であった頃からの鎮守様です。

 

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由緒によれば創建は1734(享保19)年。一帯の新田開発の鎮守にするため、山城の国男山八幡神社を勧進して開かれたと言われています。武蔵野の面影を残す約600坪の境内には、地域の守り神らしく、氏子の浄財により建てられた社と、地域の防災倉庫があります。毎年9月に行われる例大祭では、氏子を中心に神輿と山車が担ぎ出されて「本多囃子」と呼ばれるお囃子の掛け合いが行われ、盛大に街を練り歩きます。

 

 

「本多八幡神社の力石」

 

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地元の伝承によれば正月や祭礼の日に村の若者たちが鎮守八幡神社の境内に集まり、相撲や力石を持ち上げる催しを行っていたそうです。その中で、冨士野栄次郎という若者は本多新田の中でも一番の力持で、この石を持ち上げることができたと伝えられています。実際の重量はおよそ百キロだそうです。

 

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」でしょうか。

 

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「本多五丁目」の交差点まで来ました。

 

ここから今度こそ駅に向かいます。途中に「バニトイ ベーグル 国分寺店」が御座いました。

 

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ここでベーグルを買ってまいります。のちほどそのベーグルもご紹介します。

 

約5時間、18kmの長旅で御座いました。

 

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楽しませて頂きました。

 

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如何でしょうか。高層マンションが建設され、再開発が進む国分寺駅。しかし、いざ街を散歩してみると殿ヶ谷戸庭園や武蔵国分寺跡、お鷹の道など豊かな緑も多く残っている街です。市内を流れる小川にはなんとホタルも生息しています。

 

国分寺といえばサンバカーニバルが有名ですので、皆様にもご紹介します。

 

 

こちらは国分寺まつりの様子です。

 

 

皆様も是非、都会のパワースポット国分寺を散策してみては如何でしょうか。

 

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written by たみと(たー)