【庭園】東京・中央区の「旧芝離宮恩賜庭園」。大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園を散策する!①
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たまには人込みから離れてのんびりと非日常を味わいたいもの。なんと150円で国指定の名称を散策できる場所が浜松町のそばにあります。それが江戸下町の典型的な汐入池中心の回遊型庭園の「旧芝離宮恩賜庭園」です。
ブログでは「東京浜離宮恩賜庭園」の散策記事もお届けしましたが(記事はこちら)、「旧芝離宮恩賜庭園」のほうも散策して参りました。
旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)は、東京都港区海岸にある都立庭園です。六義園や清澄庭園、小石川後楽園など都内には9つの都立庭園が御座います。
大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開されました。
早速降りしきる雨の中、散策してみたいと思います。
冒頭でもお話しましたが、入園料は150円です。ジュース1本のお値段で非日常が買えると思うとお安いもので御座います。
庭園の広さは、ほぼ東京ドームと同じくらいの巨大な庭園です。
延宝6年(1678)、徳川将軍家から埋立地であったこの地を拝領した老中大久保加賀守忠朝はここに屋敷を造り、作庭を始めました庭は貞亨3年(1686)までに完成し、「楽寿園」と命名されました。これがこの庭園の起源です
最近は本当に庭園散策が楽しいです。
晴れていればもっとテンションが上がると思うんですけどねぇ。
こちらは「離宮時代の洋館跡」です。植物模様の残された大理石です。
かつて老朽化のために取り壊された浜離宮の延遼館に代わるものとして、1891年(明治24年)、芝離宮に木造二階建ての洋館が建てられれていました。離宮としても迎賓館としても使われた洋館でしたが、1923年(大正12年)の関東大震災ですべて焼失、現在ではこのレンガ基礎の一部と装飾の施された大理石の一部が残るのみとなっています。
ここで外国の偉人をもてなしていたんでしょう。
私もたまにはもてなされたいものです・・・。
「しゃりんばい」。
枝が車輪のように出ることと、花がウメに似ていることからこの名前が付いています。
散策したのは1月でしたので当然花は咲いておりませんでした。(今は5月なんで美しい花が咲き誇る時期だと思います)
かつて「楽寿園」と呼ばれた「旧芝離宮恩賜庭園」は典型的な回遊式庭園で、園景の中心には江戸の水辺庭園特有の潮入の池があり、干満によって景色が変化するよう工夫されていました。
寒いです・・・。やはり庭園巡りは温かい時期に散策したほうがいいですね。
池泉の中央部には中国杭州の西湖堤を模した堤や蓬莱山を表した中島など中国の趣を取り入れ、築山のうえから白帆の行きかう沖合の海の展望にも意を注ぐつくりでした。
曽於の御、大久保氏より数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となり、さらに有栖川宮家を経て宮内省が買い上げて明治9年(1876)「芝離宮」となりました。
明治24年(1891)には迎賓館としての役割を果たすために先ほどご紹介した洋館を新築し、以来、多くの外国貴賓を迎えていました。
大正12年(1923)の関東大震災で洋館等が焼失したものの翌大正13年(1924)1月、昭和天皇の御成婚を記念して東京市に下賜され、市では震災復旧を行い、同大正13年(1924)4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されたんです。
園内にある萩の小道では秋の9月頃に美しい「萩」の花が咲き誇ります。
私が行った1月はご覧の通りです・・・。寒かったですし雨が降りしきっておりましたので全くひと気もありませんでした。
現在は周囲の埋立、林立するビルにより潮入りの機能、海の展望は失われましたが、中島の蓬莱山をはじめとする石組の妙は昔日の面影を残しております。昭和54年(1979)、文化財保護法により「名勝」に指定されました。
今日はここでお仕舞です。お次は「【庭園】東京・中央区の「旧芝離宮恩賜庭園」。大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園を散策する!②」をお届けしますのでお楽しみに!
written by たみと(たー)