【福島】白虎隊最期の地「飯盛山」| 若い命が散った白虎隊の悲劇を忘れてはならない | たみ散歩~いつでもどこでも働ける、フリーランスという生き方~

【福島】白虎隊最期の地「飯盛山」| 若い命が散った白虎隊の悲劇を忘れてはならない

食堂なまえ」で喜多方ラーメンを食した後(記事はこちら)、向かった先は白虎隊の少年隊士が自刃した地として知られる飯盛山(いいもりやま)を訪れました。

飯盛山は福島県会津若松市の中心部から東側にあり、標高314mの小高い山からは会津城下町を一望に見渡すことができます。私は飯盛山に来るのはこれで3度目ですが、毎回会津を訪れた際には、白虎隊十九士の墓や各地で戦死した三十一士の墓をお参りしています。

 

 

それではお墓をお参りするために飯盛山の参道へ入りたいと思います。

 

 

皆様ご存知の通り飯盛山は、明治戊辰の戦に、わずか16、7歳の少年達が、主君のために戦い力つき、ようやくこの飯盛山にたどりつき、そして自決した「白虎隊士」の自刃の場所として知られています。

参道には災難にあわないようにと厄除けの饅頭としても知られている「小池菓子舗」のお饅頭が売られていました。

 

 

美味そうな匂いに後ろ髪を惹かれながら参道を登りたいと思います。

実は飯盛山は「動く坂道」(スロープコンベア)があって、階段で登らなくても頂上に行けるんです。

 

 

スロープコンベアの料金は大人250円、小人150円です。

今回は階段ではなく、スロープコンベアで行かせて頂きます!

 

 

飯盛山の参道の階段は183段あるといいますから、楽に登れるスロープは便利です。

 

 

会津藩の藩士の子弟を教育する「什の掟(じゅうのおきて)」は知られることですが、この「あいづっこ宣言」は現代版什の掟ですかね。

 


「やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです」。やらなくてはならないことは、しっかりとやる。決まりは守るでしょうか。

 

スロープを登ると、ローマ市から白虎隊士の精神に深い感銘を受けた送られたという「ローマ碑」があります。

 

 

お隣には「ハッソー・フォン・エッツドルフ氏寄贈の碑」があります。

 

昭和十年に駐日ドイツ大使館員だったハッソー・フォン・エッツドルフ氏は、白虎隊の少年たちの心に深い感銘を受けて、「会津の若き少年武士に贈るドイツ人」と彫った「ドイツ碑」を寄贈しました

このローマ市やドイツ人ハッソー・フォン・エッツドルフだけでなく白虎隊の生き様に感銘を受けた海外の方も沢山いらっしゃいます。

飯盛山に建つ 「白虎隊の歌詞」(島田磬也)が刻まれた石碑です。

 

 

「戦雲 暗く 陽は落ちて 
孤城(こじょう)に月の 影悲し 
誰(た)が吹く笛か 識(し)らねど 
今宵(こよい) 名残りの 白虎隊」

白虎隊の無念さがこの歌詞からも犇々と伝わってきます。

 

白虎隊十九士のお墓です。

 

 

白虎隊の歴史を簡単に振り返ると、戊辰戦争のおりに、齢まだ16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城(会津若松城)の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。

その中で唯一、1人だけ生き残った飯沼貞吉によって白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。

私は冒頭に述べた通り、飯盛山に来るといつもその悲運の物語に胸を打たれます。

「白虎隊自刃の地」は、この山頂からさらに奥にあります。

 

 

この奥です。

 

 

途中に白虎隊自刃者中ただ一人蘇生した飯沼貞吉(のち貞雄)翁のお墓があります。

 

 

のどに脇差しを突き立てても死にきれず、気を失っていたところ、飯盛山いいもりやまの近くに住んでいた足軽の妻ハツに助けられたと記されています。

飯盛山からの眺め。

 

 

ここから眺めた黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自決を決心し白虎隊は自ら命を絶っていきました。

こちらを下れば自刃の地です。

 

 

自刃の地には、鶴ヶ城の方向を眺めるような少年隊士の像があり、隊士像の隣には「白虎隊殉難士各霊塔」が建てられています。

 



ここから鶴ヶ城を見たときは、城が煙に包まれているように見えましたが実際には城は落ちてはいませんでした。彼らが見たのは、周辺の武家屋敷から昇っていた煙だと言われています。

しかし、隊士達は敵に捉えられ生き恥を晒すのを潔しとせず、この地で自刃することを選びました。

Star Beauty Queenチャンネルに飯盛山が紹介されていました。

 

 

今日はここでお仕舞です。如何でしたでしょうか。14~17歳の年端もいかない少年達が切腹という話は今では考えらないことだと思います。

飯盛山は白虎隊自刃の地として有名ですが、近隣には白虎隊記念館などがあり、八重の桜ブーム以前から観光名所として知られています。

皆様も是非歴史的事実としてこれからの世代にも伝えていくべきでしょう。

お次は「不思議な錯覚に陥るらせん階段にびっくり!飯盛山に建立された「会津さざえ堂」を参拝する!」をお届けするのでお楽しみに!

 

written by たみと(たー)