イエスに関するリーディング 〔E・ケイシー〕 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

 “一九三二年六月二十八日、ヴァージニアビーチのアークティック・クレサントにあるケイシーの家で行われたリーディングが残されている。このリーディングには、AREのノーフォーク研究グループ№1に属する多くのメンバーが参加していた。このリーディングの目的は、主に、メンバーたちにこの現象の実際の姿を見せることにあり、さらに興味を増すために、リーディングのテーマも参加者全員にとって興味あるものが選ばれた。その部屋に居合わせた誰一人として、その日のリーディングで言われることが、十五年先に事実となるであろうとは、また今日なお測り知らぬほどの価値を持とうとは知るべくもなかった。

 ケイシーが催眠状態に入った後、ガートルード・ケイシーがいつもの調子で質問を開始した。

 「どうか今回は、イエス・キリストの生涯とその活動の輪郭を、生誕の時から三〇歳頃にパレスチナで伝道を開始されるまでの期間、生誕地、教育、旅行などの経緯を含めてお教え下さい」

 ケイシーは答えた。

 

 「諸々の約束と、多くの国におけるその約束の実現に関して当時なされた記録から見られるように、『汝ユダの地ベツレヘムよ―― 偉大なる新来者、聖なる者、人の子にして父に受け容れられたる者の生誕地よ』(訳注:マタイ伝2-6参照)(〔イエスの生誕は〕かの律法や統治に従っている時期に、父親の家庭で〔起きた〕。そして庇護と付き添いの下に、エルサレム訪問の時期から、まずインド、次にペルシャ、そしてエジプトに〔滞在した〕、なぜなら『わが子はエジプトから呼ばれるであろう』(訳注:この通りの記載はないが、ホセア書11-1に、「私はエジプトから私の子を呼んだ」とある)から。そしてヨルダン川の傍らの流域ではじめて宣せられるかの先ぶれの人との短期の逗留。その後最初の伝道の町となるカペナウムへの帰還。そしてカナンとガリラヤでの滞在。準備の一部となった研究の対象としては、まず律法として与えられたものの土台となるものが含まれていた。かくてかの偉大な新来者に、律法の次に来たるべきものは愛・慈悲・平安であり、こうして主がそのために呼ばれ、またその一部となられたところのかの目的の、完全な実現が生じたのである)

 「どの時期から、またどれだけのあいだ主はインドにおられたのですか?」

 「十三歳から十六歳まで。一年間は旅行とペルシャ滞在に。より大きな部分はエジプト滞在に割かれた。この点については、その大部分はエジプトのピラミッドの中に蔵されている記録によって示されるであろう。というのも、教えを授かることを許された者たちが教育を受けたのはこの場所であったのだから」

 「誰の指導の下に、主はインドで学ばれたのですか?」

 「クシュジュアル」

 「「ペルシャでは誰の下に?」

 「ジュンナー」

 「エジプトでは?」

 「ツァー」

 「インドで授けられた教えの概要をお教え下さい」

 「人間の精神面および肉体面における力の準備に関連した、身体のもろもろの浄化法。旅行とペルシャ滞在中は、ツおよびラーの教えの中に与えられたものについてのもろもろの教えに関連した、多様な力の合一。エジプトでは、〔後にエルサレムの〕神殿での教えの中で説かれることになるすべての教えの土台、および成し遂げられることになっていたことを遂行する能力を助長するもろもろの理想との関連において、自らを磔刑に委ねるという将来の行動の土台となったことを。これらの教師たちの誰の物質生に思いを至すときにも、これらのことを研究者たちは決して不自然な条件であるとみなすべきではない。むしろ自己の体験の中に、すべての個別的存在が自らのちっぽけな領域の中でそうあらねばならぬものとなることを可能にするものを確立した人々に、正しき父なる神が呼びかけているのだとみなすべきである。個々の存在はそうした領域を徐々に拡大することによって、彼ら―― 個別的存在—― が意図・目的・理想において主とひとつになるまで包括的な存在となっていくのである」

 「どのピラミッドにキリストの記録は残されているのですか?」

 「まだそれが明らかにされる時は来ていない」

 「三人の賢者とのあいだには、教育においてはどのような関係がありましたか?」

 「成長の三つの段階を表している。なぜならこの三人はその成長を待望していた人々であり、飼葉桶の中で幼な子に祝福が捧げられると同時に与えられたものの性格によって、この成長は象徴されている(訳注:東方の賢者たちによって捧げられた黄金・乳香・没薬を指す。なお本書264ページ参照)」

 「教えに関する、まだ未発見の書かれた記録が存在しますか?

 「親密な同胞たちの記録は、むしろ未発見のものの方が多いくらいであり、また人の子イエスの準備については、墓の中や、ピラミッドに眠ったままとなっている記録の中に多くの記録が残されている」

 「いつになったら、これらの記録の発見される機会が訪れるでしょうか?

 「この世界がそれを通じて今動いている、かの『計算』が充ちた時に。三六……三八……四〇…」

 彼は十年もしないうちにこの世を去った。

 

 「主は再び来ると述べておられます。主の再臨についてはどうでしょうか?」

 「その時を知る者はいない。主(訳注:父なる神)の望まれるがままに。神の子ご自身も御存じないのだ。御存じなのは父なる神のみ。 神のもろもろの敵―― そしてこの地上―― が完全に神の御意志、神の御力に従うようになってはじめて」

 「私たちは、主の降臨の準備期間に入りつつあるのですか?」

 「むしろ試練の時期に入りつつあるというべきである」

 「ここに集まった人々に、何か伝言は?」

 「汝らの導き手となるであろう主〔の再臨へ〕の準備の仕方を知ろうと努めるに際し、汝らはまた、ここでの探求を早めたこの勤勉さと同じ勤勉さをもって、主の僕になるために自らを備えるよう努めよ。今日はここまで」

 

 グラダス・デイビスは、それまで何千回となくやってきたように、またそれから先の何千回となくくり返すことになるように、このリーディングの速記録をとった。いつものとおり、彼女はエドガー・ケイシーが目醒めるまで待ち、それから彼の同意を得ると同時に彼にリーディングの内容を知らせるため、彼女の速記録を読み上げた。集まりが解散した後、彼女は事務所に行って筆記したものをタイプし、再度同意を求めてケイシーに見せた。彼は彼女に何かを語った。彼女はデスクに戻り、次の一文を速記録に付け足した。

 

 「GD(グラダス・デイヴィス)のメモ。私が居合わせた人々に向かってノートを読み上げているとき、EC(エドガー・ケイシー)は人間の大きさをした白い姿の幻(ヴィジョン)が海の方から来るのを見た。彼は車をはじめすべての物体をつき抜け―― 街路を下り、パシフィック街を過ぎてわれわれの方角に向かい、私が読み終えた瞬間姿を消した」

 

 (グレン・D・キドラー「エドガー・ケイシーの死海写本 リーディングの実証」たま出版より) 

 

*最後の、ケイシーの秘書であったグラディス・デイヴィスのメモは、聖書の中のイエスの言葉「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ伝18-20)を思い起こさせます。このリーディングを声に出して読んで、ケイシーと同じように何らかのヴィジョンを見られる方はいらっしゃるでしょうか?