第二次大本事件前夜 | 瑞霊に倣いて

瑞霊に倣いて

  
  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・第二次大本事件前夜

 

 “第二次大本事件は昭和十年十二月八日に勃発し、聖師は松江市の別院から拘引された。大国氏はその時も随行員に加わっていた。八日は別院で大祭を行う予定であったが、泊まり込みの団参全部を別院に収容しきれぬほどの雑踏なので、大国役員は市内の知人の家に泊めてもらうことにした。そのことを話すと聖師は、

 「なんぞ用が残っとらんか」

 「べつだん」

 「ほんとうに無いか」

 「ええ、ございません。あとは明日になってすることだけでございます」

 「そうか、ほんとうに無いな?」

 「ございません。今夜の仕事はみな片付きました」

 この時も、あすという日がないようには思えなかった。それに当面の仕事は一点の手落ちなく処理してあるとの自信があるので、大国氏の返事はいたって明朗であった。

 それに反し聞くほうでは、まだ何やら割り切れぬ様子である。大国氏は言葉の切れ目に座を立とうとすると、

 「忘れものはないか、成るべく居れや」

 と離れともない風情を見せるのだが、あすの祭典の忙しさを思えば、寝不足は禁物なので、

 「そういうわけにもまいりません」

 といって腰をあげた。聖師はなおも思い切り悪そうに、

 「わしに何ぞ言うことはなかったか」

 「いいえ、べつに」

 と言いかけて、その時はじめて「少し変だな」という気持ちがした。

 (何のことを云われるんじゃろう?)

 と胸の内側でいぶかってみた。しかしどう考えても思いあたることはなかった。そこで、

 「何も申し上げることはございません」

 とキッパリ断言した。聖師は困ったような、淋しそうな表情になって、声の力さえおとし、

 「そうか…わしは話があるんじゃがのう」

 おかしな人だと云う気がした。そばには夫人の外、気のおけるような人が居はしないではないか、話があるなら、サッサと話せばよいではないか、と思うと知らず知らず開き直るような調子になり、

 「お話て何でございましょう。うかがわせていただきます」

 と促した。聖師はちょっと首をかしげて、

 「まだ云えん。夜中でないと云えん」

 愈々出でて愈々ヘンだと思ったが、まさか予言だとは思わなかった。予言はいつも、そんな風に聞かされるのであった。明らかに予言であったと思い当るのは、いつでも裏付けとなる事実の具体化が遂げられたのちであった。

 「まあ、また会えるかも知れへん、行くなら行ってきな」

 と半ば自分に言い聞かせてあきらめた様子だから、またしても御意の変わらぬうち、といとま乞いをして、次の間へすべり出た。

 別院を出て一丁ほど行くと、侍者の青年が追いかけて来て、

 「大国先生、もう一度おもどりくださいと仰ってです」

 いうまでもなく、先刻いいそびれた話をして聞かすためだろうと思い、この時はさほど異様にも思わず足早に引き返した。

 「何の御用ですか」

 「アノナ、からだを大事にせいよ」

 「ありがとうございます。御用はそれだけですか」

 肩すかしを食わされたような気持がしたのであろう。それを聞くと聖師は稍や照れくさそうに、

 「今夜、星が降る」

 衛生訓から天文談へ飛翔した。

 「は?天体異変ですか」

 「うん、星が落ちるのや」

 「それでは、今夜、空を仰いでみます。それだけですか」

 と念を押すと、聖師もまた、

 「それだけや、からだを大事にせいよ」

 とふたたび念を押して、

 「どこかで、また会おう」

 と付け加えた。

 物々しい出口王仁三郎捕り物陣の光景は、小説の方にゆずる。この日の夜中に聖師が拘引され、翌日、他の幹部級とともに大国氏も拘引され、警察の留置場で聖師と顔を合わせた。いいかえれば、前日の予言が、着々実証を示したわけである。”

 

       (「神の國」昭和29年2月号 矢田挿雲『出口王仁三郎傳』より)