「合気道」発祥の地 | 瑞霊に倣いて

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  『霊界物語』が一組あれば、これを 種 にしてミロクの世は実現できる。 
                            (出口王仁三郎)  

・綾部は「合気道」発祥の地

 『神人合一』を目指すのが合気道の真髄  (富木謙治)

 

――富木先生が、はじめて植芝翁(合気道開祖)に指導を受けたときの事を。

 

 「私が初めて手合わせをしてもらった当時、柔道の現役の五段でしたがね、痛くてもう手も足も出ないわけです。背は私の肩くらいしかないんですけれどね。私も力には自信があったんですが、その時、力では太刀打ちできない、何か非常に特殊な技能を持っておられると感じました。あとで聞いてみると、武田忽角先生は植芝先生よりまだ小さい人で、やはり特殊な技能を持っておられたそうです。

 技のコツをお聞きしても、植芝先生が説かれるのは、いつも…合気道の『合気』とは、天の気と自分の気を合わせることだ。そうすると人間を超えた偉大な力がでる。これが合気の呼吸なんだ…とこれだけなんです。それだけしか説かれないから、弟子はただポカンとしているわけです。

 そこで私は、これをどうにか納得のいくように説明できないかと、二十年、三十年かかって、その技の特殊性が何であるかということを分析してきたわけです。その技の裏に流れる形而上学的な部分を分析して、誰にもわかりやすいように、多少、理論的、哲学的な解説も加えて、今、学生に二、三年で一通りのことが身につくように教えているわけです。」

 

――王仁師と植芝翁のことについてご存知のことを。

 

 「植芝先生が王仁三郎先生に師事して大本に入信されたのは大正八年です。私は昭和二年の八月、綾部のご自宅で植芝先生にお会いして、合気道に入門しました。綾部にいた一ヶ月間は、先生に『信仰をもたなきゃ強くなれない』と言われ、マネ事ですが、いっしょに祝詞をあげ、お筆先を浄書して、いい機会だと思って講座に出たり、霊界物語を片っ端から読んだりしました。

 先生は、技の上では武田惣角先生に師事し、名人の域に達しておられたが、反面、精神的には弱い面を持っておられた。現代的な教養はあんまりないし、その辺の精神的ギャップを何でうめるかということで、それを信仰に求められたと思います。

 その精神面の指導に当たられたのが王仁三郎先生で、植芝先生の名人をよく見抜かれ、合気という名称も『これにせよ』ということで、そうされたということです。合気と言う言葉は昔からありますが、そういう意味で『合気道』の精神的な意義づけをされたのは王仁三郎先生だということになりますね。

 王仁三郎先生は、『神は万物普遍の霊にして人は天地経綸の主体なり、神人合一して茲に無限の権力を発揮す』と示されていますが、この『神人合一』ということは『合気』ということと同じことでしょう、言葉がちょっと違うだけで、その言わんとするところは。だから植芝先生が説かれた『合気』という意味も、王仁三郎先生のこの教えを説かれていたんだと思います。その意味で、綾部は合気道の真の発祥の地といえるでしょう」

 

   (「人類愛善新聞」昭和54年10月1日号 富木謙治『綾部は合気道発祥の地』)