上手くいく方法ばかりを

探していた人生

 

 

 

不安、辛さ、焦り。

 

 

 

そんなものを抱えながら生きていた頃の私は、いつも「どうすれば上手くいくのか」を探していました。

 

 

 

成功している人の考え方を真似る。

上手くいった人の習慣を取り入れる。

自分に足りないものを見つけては、新しい方法を試す。

自己啓発書を読み、知識を増やし、少しでも理想の自分に近づこうとしてきました。

 

 

 

もちろん、それらがすべて無駄だったわけではありません。

 

しかし、今振り返ると、そこには大きな見落としがありました。

 

それは、

 

 

 

自分がどう在りたいのかを置き去りにしていたことです。

 

 

 

他人の成功法則を身につけるほど、外側は整っていく。

 

けれど、内側にはいつまでも不安が残る。

 

誰かの正解を借りて、立派に見える自分を演出していただけなのかもしれません。

 

いわば、張りぼての自分です。

 

 

 

何かを達成しても、次の成果が欲しくなる。

人から認められても、もっと認められたくなる。

 

 

 

これでは、いつまで経っても自分自身に帰ることができません。

 

 

 

仏性との出会いで気づいた

「在り方が先」ということ

 

そんな私にとって、大きな転機となったのが仏性という考え方でした。

 

仏性とは、何か特別な能力を身につけた人だけが得られるものではありません。

 

地位や実績、年齢や他人からの評価によって増減するものでもない。

 

何かを成し遂げる前から、すでに自分の内にある尊いもの。

 

そう捉えたとき、これまでの人生の見え方が少しずつ変わり始めました。

 

私はずっと、何かを手に入れれば自分が変わると思っていました。

 

しかし、もしかすると順序が逆だったのです。

 

何かを手に入れてから安心するのではなく、まず自分の存在を認める。

 

成果を出してから自分を許すのではなく、成果の有無にかかわらず、自分を粗末に扱わない。

 

「何をするか」よりも先に、「どのような自分として生きるか」。

 

つまり、

 

 

 

やり方ではなく在り方です。

 

 

 

これは、単に前向きな考え方を身につけるという話ではありません。

 

自分の存在を、外側の条件だけで判断してきた習慣そのものを見直すことでした。

 

そして、ここからが本当の修行の始まりでした。

 

 

 

在り方を変えるとは

過去の自分との静かな闘い

 

在り方を変えようとすると、必ずと言っていいほど、以前の自分が顔を出します。

 

不安になれば、すぐに誰かの正解を探したくなる。

 

少し上手くいかなければ、自分には価値がないように感じる。

 

何もしていない時間があると、何かを頑張らなければ落ち着かなくなる。

 

頭ではわかっていても、身体や感情は慣れ親しんだ反応を繰り返そうとします。

 

なぜでしょうか。

 

長い間、不快や緊張を当たり前として生きてきたため、それが自分にとっての普通になっているからです。

 

 

 

苦しいのに、苦しい状態のほうが落ち着く。

休めばいいのに、頑張っている自分のほうが安心する。

新しい快適さより、古い不快のほうを選んでしまう。

 

 

 

これこそ、私が向き合ってきた現状維持の働きでした。

 

だから、在り方を変えるとは、単に新しい習慣を追加することではありません。

 

過去の自分が当たり前としてきた反応を、少しずつ選び直していくことなのです。

 

例えば、不安が生まれたとき。

 

以前なら、その不安を消すために情報を集め、誰かの意見を探し、すぐに行動していました。

 

今は、まず立ち止まります。

 

 

 

「ああ、また以前の自分に戻ろうとしているな」

 

 

 

そう気づくだけでも、反応と自分との間に小さな余白が生まれます。

 

 

 

不安を否定する必要はありません。

不安がある自分を責める必要もありません。

 

 

 

ただ、不安に人生の舵を渡さない。

 

そして、自分にとって本当に心地よい選択を、ひとつしてみる。

 

この小さな繰り返しが、私にとっての実践になっています。

 

 

 

完成を目指すのではなく

今日の自分を生きる

 

今、私が大切にしているのは、自分自身の快を見つけ、それを淡々と積み上げていくことです。

 

誰かに見せるための変化ではありません。

 

他人から評価されるための努力でもありません。

 

自分の内側が、少し澄んでいく方向を選ぶ。

 

食べるもの、使う言葉、過ごす時間、人との距離。

 

日常の何気ない選択の中に、自分の在り方は表れます。

 

もちろん、今でも気を抜けば以前の自分に戻ります。

 

 

 

焦ることもあります。

他人と比べることもあります。

もっと成果が欲しくなることだってあります。

 

 

 

けれど、それで修行が台無しになるわけではありません。

 

戻ったことに気づけば、また戻ればいい。

 

昨日より立派な自分になる必要もありません。

 

今日の自分を、今日の自分として引き受ける。

 

それが、私の考える「我に還る」ということです。

 

澄心舎で大切にしている思想も、結局はこの一点に行き着きます。

 

人生に完成形はない。

 

在り方を整えることに、卒業もありません。

 

私自身、今もただひたすらに修行中です。

 

けれど、以前のように何者かにならなければ生きる価値がないとは思わなくなりました。

 

何かを成し遂げる日も、何もできない日も、私の人生です。

 

あなたも、誰かの成功法則を完璧に再現しなくていい。

 

まずは今日、自分が本当に心地よいと感じることを、ひとつ選んでみてください。

 

大きな変化は必要ありません。

 

自分の内側にある小さな快を、他人の正解よりも大切にしてみる。

 

その一歩が、あなた自身の人生を取り戻す始まりになるかもしれません。

 

 

 

 

誰かに

なろうとしない

 

自分に

還る

 

 

 

 

 

いつもの「我軸食」

 

自分の軸を、強くしな

やかに養い、自律的に生きるための食事を心がけます。ご先祖様、太陽、水、空気に感謝します。

 

それでは本日も、淡々堂々清々しく、快に生きましょう!