癒しを探しているのに
なぜ満たされないのか
「なんだか疲れたな」
そう感じる日があります。
頑張っているわけでもないのに疲れる。
人間関係に傷ついたわけでもないのに重たい。
休日に好きなことをしても、なぜか心が晴れない。
そんなとき、多くの人は何か特別な癒しを探します。
旅行へ行こう。
美味しいものを食べよう。
温泉へ行こう。
新しい趣味を始めよう。
もちろん、それらも素晴らしいことです。
しかし不思議なことに、どれほど癒しを探しても満たされない人がいます。
なぜでしょうか。
それは癒しが遠くにあると思い込んでいるからです。
私たちはいつの間にか、
「幸せは特別な場所にある」
「癒しは特別な体験にある」
と思い込んでいます。
けれど本当は違います。
癒しはもっと身近なところにあります。
あまりにも身近すぎて気づいていないだけなのです。
自然は毎日
静かに語りかけている
朝、窓を開ける。
青空が広がっている。
風が頬をなでる。
木々が揺れている。
鳥が鳴いている。
雨の日には雨の日の音がある。
曇りの日には曇りの日の柔らかな光がある。
季節ごとに香りも変わります。
春には花の香り。
夏には草の匂い。
秋には乾いた風。
冬には凛とした空気。
実は私たちは毎日自然に囲まれて生きています。
ところが忙しくなるほど、それらが見えなくなります。
空を見る余裕がない。
花を見る余裕がない。
風を感じる余裕がない。
すると心はどんどん思考の中へ閉じこもっていきます。
過去の後悔。
未来の不安。
他人の評価。
終わりのない比較。
頭の中だけで生き始めるのです。
だから苦しくなります。
自然が癒してくれるのは、私たちを思考から現実へ戻してくれるからです。
風は今ここにあります。
鳥の声も今ここにあります。
雲も太陽も今ここにあります。
自然はいつも現在を生きています。
そして私たちをそっと現在へ連れ戻してくれるのです。
自然は教えてくれる
桜は咲く時期が来れば咲きます。
散る時期が来れば散ります。
雨は降ります。
晴れの日もあります。
風の強い日もあります。
そこに良い悪いはありません。
自然はただ自然として存在しています。
人間だけが、
「こうあるべき」
「もっと頑張らなければ」
「失敗してはいけない」
と自分を追い込んでいます。
しかし自然を眺めていると気づくのです。
無理をしている花はない。
背伸びしている木もない。
他の花と比較して落ち込む草もない。
それぞれがそのまま存在している。
それだけで美しい。
澄心舎では、自然を「仏の説法」と捉えます。
仏さまが言葉ではなく姿で教えてくれている。
雨は雨としてよい。
風は風としてよい。
花は花としてよい。
そして
人もまた人としてよい。
そんなメッセージを自然は毎日送り続けています。
だから自然に触れると安心するのです。
頑張らなくてもいい。
競争しなくてもいい。
今のままでも大丈夫。
そんな感覚を思い出させてくれるからです。
心の浄化はいつでもできる
心を整えるために特別な修行は必要ありません。
空を見上げる。
花を眺める。
雨音を聴く。
夕日を見る。
それだけでいいのです。
自然はいつでもそこにあります。
今日も。
明日も。
あなたを待っています。
当たり前すぎて見過ごしているだけで、
本当は無数の癒しが身の回りに存在しています。
疲れたときほど自然へ戻る。
悩んだときほど空を見上げる。
苦しいときほど風を感じる。
そうしているうちに、少しずつ心は静かになっていきます。
自然はあなたを変えようとはしません。
ただ「そのままでいい」と教えてくれます。
だから癒されるのです。
だから整うのです。
そして気づくのです。
探していた安らぎは、ずっと足元にあったのだと。
自然は今日も
あなたを迎えてくれている!
いつもの「我軸食」
自分の軸を、強くしなやかに養い、自律的に生きるための食事を心がけます。ご先祖様、太陽、水、空気に感謝します。
