おはようございます照れ

最近、秋晴れで気持ち良いですねラブラブ

昨日は

私がシータヒーリング®️を

初めて受けた時の感覚を

書きましたが

今日は

具体的に解決したことを

書こうかと思います真顔


本日は

ヒヨコ【親子関係・父親編】ヒヨコ


私を知る人は

あまり裏表がなく

良いも悪いも

はっきりした性格で

直感型の人間で

明るく元気。


それは事実に変わりないけれど

私がそういう自分を

辛い時も

演じてた部分もあります 笑笑


私は現在43歳ですが

小さな頃から

ずっと引きずってた

ある思考癖がありました。

この思考癖は

まず親子関係から

特に父親とのことを

お話しせんといかんのですが…。

私の両親というのは

父は私が物心つくと

ものすごく厳しい人に変化して

母は父に嫌われないよう

顔色ばっかり伺ってる人でした。

2人とも

優しい時は優しいけれど

自分の機嫌が悪かったり

子が思った通りに行かないと

怒るとか

なんというか

安定した愛情を

子には注げない人達でした。

ですが反面

私は金銭面や物質面では

大いに恵まれていました。

これは

両親の幼少期が大いに関係します。

戦後間もなく生まれてる世代なので

物質面でも金銭面でも

愛情面でも

享受出来なかった世代。

とにかく生きることに必死。

両家のジジババ共に

なんとか商売を軌道にのせ

食ってけるようになったのは

両親が思春期になってから。

今回は

父から受け継いだ固定観念の話をします。

私はずっと

『自分は他人に好かれない』

って思考癖があったんですが

これは父の固定観念でした。

シータヒーリング®️で言えば

思考っていうのは

4つのレベルがあります。

①生まれてから培ったレベル

②DNAに入ってるレベル

③歴史的なレベル

④魂のレベル

どこかのレベルか忘れましたが

父の思考で入ってました。

私の父の理想の娘像は

黒髪の長い髪

誰しもが認める美人で

ピアノや歌や踊りが上手いとか

一芸に秀でる才能

品行方正で清楚

成績優秀

誰にでも好かれ

友達100人いる人気者で

誰しもが褒める娘です。

母の理想の娘像はまた別なので

いつか書きます。

こんな人間いるかよ…

いや…

いるにはいるけれど

私はそうじゃないって話だし

目指してもいないだけの話です。

常に理想像と比べられ

否定される。

私はただただ

自尊心が低く

何事も自信がなく

自己肯定感の低い子になりました。

完璧な人間じゃないと嫌われるという

強迫観念。

よって

人間関係はすごく気を遣うだけの

しんどいものになり

自分が犠牲を払わないといけない

関係性しか作れず

傷つくのは嫌なので

本音は蓋して化かし合い。

それが賢い生き方だと思ってたし

策士でいないといけない仕事。

疲れるだけのこと。

でもやり続けなきゃ

居場所がなくなるという恐怖。

人生が色々ままならいし

なんでこんな嫌なことしか

おきないんだろ?

なんでこんな辛いんだろ?

なんで色々うまく行かないんだろ??

と感じたのは

30代後半に

ものすごく好きな人に振られた時で

復縁したい一心で

引き寄せの法則や

自己啓発本とか読みまくったんですが

その時初めて

自尊心

自己肯定感

依存

自分を大切にすることの意味

を知りました。

そこで初めて

自分が何故振られたのかも分かったし

なぜ復縁できないのかも

人生がうまく行かないのも

他人とうまく行かないのも

理解ができました。


それまでは

結構な地獄でした照れ


他人に嫌われるのが怖くて

自分の本心は言えないし

恋愛でも人間関係でも

建設的な関係を築けず

イライラしてるだけの毎日。

なんでもっとやってくれないのという

不満ばかり抱えてるのに

表面は

明るく元気に振る舞う。

今思えば

こんな嘘くさい人間

誰が信用するんだよって話です 笑笑


シータヒーリング®️で

この父の思考癖に気づき

それが取れた時

過去の自分を嫌うわけではなく

それしか方法を知らなかったし

現在は許すことができました。


父の思考癖で

ただただ人生を歩んでいただけ。

それに気づいた時、

父は所謂団塊の世代で

クソど貧乏一族が

一族経営で成り上がった人。

父の人生を振り返った時

父には人生の自由もなく

母親の愛情もあまりなく

(祖母は生きるのに必死だっただけ)

末っ子なので

父親の愛情は感じて育ったけど

物も金もない時代。

祖母はものすごく矍鑠とした強い人で

時代もありますが

長男至上主義。

父はただただ

ずーーーっと

祖母に愛されたい思いで

努力して来た人。

完璧になれば愛されるとか

親のために

色々とやって来た人。

それが父の愛情表現。

そりゃ子供に

金は与えても(父が親にして欲しかったこと)

自由は与えないし(親に与えられなかった)

ひどいこと言うし(祖母にそう言われたから)

親のために生きろ(父の親に対する敬意)

と妙に納得真顔


結局

うちの父の会社は

多額の負債を抱えて

倒産するんですが

親から兄弟

そして

自分が継いだは良いけど

倒産するのが許せず

私も引くほどの額の連帯保証人に

なりました。

私は

父の言うことは絶対で育てられ

断る余地もなく

連帯保証人になりました。

というか

倒産するなんて

思ってもいなかった。

私の中で父を象徴するものは

お金と自由でした。

つまり

私のお金も自由も父が握っていた。

遊びや学費、旅行

全て父のお金で

自由の采配も父が決める。

倒産後

私は自分が倒産した家なんて嫌で

キャッシングしてでもお金を渡し

本当にそれだけでも

物凄い金額でした。(地道に返済終了)

結果

今現在

父は今どこで何してるか

わかりませんし

私はずっと父を恨んでました。

※昨日書いた深刻な金銭問題はこのこと。


こんなことする父だったなんて

とか

お金がない父なんて

認めたくなかったし

私の実家が倒産するなんてあり得ない

とか

そんな惨めな自分なんて

認めたくなかったし

本当に色々ありました…チーン


シータヒーリング®️に出会うまでは

自分で色々気づいたりしてたんですが

シータヒーリング®️が

1番効率が良かった 笑笑


昨日も書きましたが

最初は

『???』

って感じだったけど

続けてくうちに

シータヒーリング®️によって

恨みや憐憫、怒り、

自己肯定感の低い思考が

癒されて行く過程で

思いもよらない方法で

あっという間に

保証人問題は

ベストな解決をしたけれど

何よりも大きかったのは

現実的に解決しても

父のことは許せなかったし

理解できなかったのが

まあ理解できました。

理解したら

許すことはどうでも良くなりました。


なぜあんな厳しかったのかとか

なぜ私に人気者になれと

言うわりに

異常なほどの門限や

友達と遊ぶことも

ほぼさせてくれなかったのかとか

なぜ

子供を保証人にしたのかとか。

なぜ否定ばかりしたのとか。

1ミリも理解できませんでした 笑笑

私にとって

お金や自由は父の象徴なので

父を恨めば恨むほど

お金や自由は私にとって

ひどいことをするものになる…チーン

気づけば当たり前のことでした。


ふと…

私は

父にこういうことされて

何を学びたかったんだろう?

と考えた時…

お金というツールを使って


信用

信頼

寛容

理解

受容

自由

救済

が何かを学ぶためだったんですよ 笑笑

そして

父が私に与えたかったのは

本当は

これだったんだ…

と気づいた時の衝撃よ…ポーン

父にとっても

お金は愛情表現だったから

こういう形で経験した。


ただそれだけです。


言葉で表現するのは難しいんですが

お互いが与え合うために

このプロセスを選んでただけ。


シータヒーリング®️をしたら

現実が変わるっていうのは

その物事や人に対しての

思考や感情が変わるからです。


すると在り方が変わる。


内面の在り方が変わると

現実は否が応でも変わらざるを

得ないんです。


父に対して

今は特に恨みはないけれど

どっかで元気でいてくれたら良いなと

思っています照れ


過去の私のように

現在とても悩み苦しい方

頼る人もいず

一人ぽっちだと思う方

人間関係や金銭面

仕事、恋愛で

苦しい方もいらっしゃるかと

思います。

かつての私もそうでした。

でもね。

今は助けてくれる人や

楽しい人達がいます。


過去が

どんなに不幸であっても

今がどんなに辛くても

絶対に

あなたの望むことを

諦めてはいけません。

親にひどいことされようが

友達にひどいことされようが

仕事がうまく行かなかろうが

惚れた人と別れようが

あなたはこれから

良い人生を歩んで良いです。

それには

良い人にならんでも良いし

許せんものを許さんで良いし

嫌なことは嫌で良いです。

逃げても良いし

我慢しなくてもいいです。

そんなものは

全くもって関係ない話です照れ


誰かが

この記事で少しでも救われたり

気持ちが軽くなれば

幸いです。

当店でのシータヒーリング®️の

ご予約は

12月1日からです照れ

ご予約&お問い合わせ
↓↓↓