今も昔も惨めに底辺を這いつくばっている生き物な訳だけでも
俺自身は劣等感というのを恐らく抱いた事がない
別に自分が誰よりも優れていると勘違いしてる訳でも
他人よりも劣っている要素を無理矢理美点であるかの様に勘違いしている醜い生き物でもない
只単に劣等感を感じた事が無いだけ
俺が生息していた醜い底辺では皆がこれ見よがしに劣等感を引きずり振り回し見せびらかしていた
醜い者は意識的に自分の欠点を美点であるかの様に勘違いしたがる
そして益々醜くなる
「誰かよりも劣っている」という事実と
「誰かよりも劣っている自分は価値がない」という認識は別物だ
という事が理解出来ない物が劣等感という病に罹るんだと思う
例えば俺はマリリン・ヴォス・サヴァントよりもIQが劣っている
これは事実だ
でもその事実は俺を苛まない
高い知性には敬意を払うべきだし俺個人の尺度では高い知性は最高のステータスだ
でもそれを持たないからと言って俺の価値は一切減ずる事はない
完璧な俺の上位互換が存在したとしよう
というか恐らく存在するだろう
その存在は俺にとって脅威なのだろうか?
同じ分野で同じ山を登っているなら
その分野に関しては脅威だろう
絶対に勝てない相手な訳だから
だが人生の全ての局面で俺よりも優れているその存在は
人生の全ての局面で俺の敵になるだろうか?
多分俺は全てにおいて俺より優れている人間となら仲良くしたいと思う
相手は自分の完全下位互換と話したくはないだろうが
恐らく劣等感とやらを患っている方が健常なのだと思う
俺は精神を病み老いを認識する様になって尚
劣等感を実感として理解出来ていない
優越感も劣等感も特に必要としていないのかもしれない