七尾市における被災の実情は、

七尾市内も道路の状態はかなり酷いのですが、ほとんどが応急処置だけしかされていません。

義父からも「七尾よりも上には行くな」と言われていて、輪島や珠洲には行ってはいません。

 

昨日立ち寄った七尾のマリンパークも閉鎖されていて、公園側は立ち入り禁止となっていました。

遊覧船等も営業はしていません。

 

地震の爪痕を見に行ったわけではないのですが、外食店の多くがほとんど営業出来ていない状態のようで、スーパーも場所によってなんとか営業が出来ているという状態です。

この七尾市内では比較的店舗数の多いスーパー「どんたく」があります。

ここは2店舗は営業している店舗を見ることが出来ました。

但し、穴水等の店舗は未だに閉鎖しているそうです。

 

スーパーで買い物していて気づいたのは、とにかく品物が高いのです。

ナショナルブランドの酒類や飲料等は東京近辺の価格と比べて1~2割高い。

 

食材も同様で、生鮮品の地元産魚介類はそうでもないのかと思うのですが、それ以外は高い。

 

以下、義父の寺日記を掲載させていただきます。

5月末頃の義父の寺日記からです。

地元放送局ですら、能登大地震の報道が減っている。

北陸新聞に踊る文字

@ここ(能登半島)は日本か!

@能登半島は忘れ去られている!

 

県民、市民への義援金支給は早くて8月以降とか!

義父が役場に問い合わせたところ得られた回答はこのような状況だということなのです。

 

能登大地震から150日が経過した。

おそらく北陸三県の災害片付けや復活はほとんど進んでいないようです。

大型機械が足らず、職人(左官屋さん、建具屋さん、屋根職人さん等)さんの人手が足りず、屋根や窓にブルーシートを掛けっぱなしの建物が元旦と変わらぬ姿をさらしています。

5カ月が過ぎ、ようやく七尾市のメインストリートにあるスーパーどんたく店前の完全崩壊して屋根しか見えなかった大きな古い建物が解体に入りました。

七尾郵便局(本局)近くのビルは建物全体が1Mくらい沈み込んでいますが、まだそのままです。

ここまでが5月31日の記述

 

そんな中6月2日(日)に東京と名古屋在住の教え子2人(48歳と52歳)が金沢で合流し、徳雲寺まで慰問?に来てくれました。

おばあちゃんたちへのたくさんのお土産を抱え、お昼には市内の高そうな寿司屋さんでお昼をごちそうになりました。

時間とお金を使い本当にありがたいと思いました。

 

6月4日(火)朝6時31分、珠洲震源の震度5強の地震が発生。

寝床で新聞を読んでいた私は「またか」と境内に避難。

幸い七尾市は震度4・・地面が揺れるということは誠に恐ろしいことです。元旦~震度6強、震度5強・・今回は震度4。

先日、森クリニックに検査を兼ねて訪ねたら「後期高齢者の地震によるストレス性の内臓疾患が増えている」から気を付けるようにと言われました。

先生からは「後期高齢者にしては健康状態は悪くない」と言われましたが、高脂血症と腎機能の低下には気を付けるように言われました。

奥能登(輪島・珠洲)からは既に2400名ほどが脱出し、震災関連死の方が30名を超えました。

合わせて250名程の方が犠牲になっています。

輪島・珠洲まで道は通じたものの、側道は山崩れで通行不能とのこと・・ああ!

 

能登半島は「元旦」のまま!そして、6月3日現在、県民に義援金は1円も振り込まれていません!

そして皆、余震に震えています。

 

ここまで、義父の寺日記ですが、幸いな事は義父は前職が学芸大附属高校の教師でしたから、教え子の方々が優秀な方たちが多いのでいろんな助けをいただけています。

義父自身も公務員で勤めあげていますから、生活に困らないだけの年金もあるわけで、それは恵まれているのです。

 

ただ、この寺に来てくれる方々はわずかな年金で暮らしている方がたくさんいるそうなのです。

その被災した高齢者の低収入の方たちが、未だに1円の義援金さえ受け取れていないというのは一体なんなんでしょうか?

 

 

ここからは、義父が住む同じ西三階にある神社の様子ですが、石積みの灯篭等の破損状況です。

生活している人がいない場所は最後になるは仕方ないでしょうが、地震の規模が良く解ります。

藤原比古神社

 

創祀の年代を明記できないが、延喜式内の藤原比古神社にあてられる古社である。古来、一郷の人民あげて崇敬されてきた。その間、能登半郡の領主、長家の崇敬篤く、また、豪士池島宗鑑、同北村源五等が住居し、社殿、神器等を寄進し、崇敬篤かったと伝えられる。明治14年郷社に列し、同40年八幡神社、外三社を合祀。

 

この七尾市西三階にある徳雲寺の隣に位置する立派な神社ですが、被災の状態が酷いので見て来ています。

本殿前の階段脇にある灯篭などもほとんどが積み上げて作られたものは崩れています。

これが本殿の正面です。

かなり立派な建築で大きいのですが、宮司はおられるということであっても常駐されていないようです。

ここまで元旦の能登地震で被害を受けていれば、重機も入れないと直せないということで、全く手つかずのままです。

 

義父の住んでいる隣の「徳雲寺」も仏壇は相当崩れてほとんどのものは落ちたということで、建物も木造建築ということと屋根も瓦がズレていて、正面も補修を保険である程度出来ていますが被災状態は相当なものです。

震度6強だったと聞いています。