6月7日から能登に行って来ました。
6月6日の夜中に出ようかなと思っていたのですが、仕事がやっぱり完全には片付かなくて、結局7日の早朝に起きてから準備して3時半過ぎに出ています。
今回は、義父がもう僧侶として過ごして来た12年間という七尾にある寺を今年で去ろうかという気持ちもあってのことです。
5月10日に我が家の愛犬ハッピーが亡くなって、今まで「ハッピーのことがあるから家を空けることは出来ない」という理由が大きくて、なかなか遠出も出来ない状況が続いていましたから、断ることが続いていたのですが、なんとか仕事の都合を取引先に法事でという理由を言って出ています。
1月1日に「能登地震」あって、その時に手伝いにも行けなかった私たち夫婦でしたが、今回は冬道でもなくていろんな理由を取り払って行くことが出来ています。
6月6日の晩飯ですが、冷蔵庫の食材をほとんど空にして、残っているものだけで済ませてから出ています。
無駄が出れば、捨てるものが出て後も面倒ですから、食材も数日前から調整して日持ちしない食材はほとんど処理しています。
還元茶も数日お休みするので、6日の夜に取って、このあとは水を浸して出ています。
行きの横川SAです。
この時の時間が6時頃だったかと思うのです。
お店なんかはやっていなくて、
峠の釜めしも買えず、
高崎の達磨を写真撮って、トイレだけ利用しています。
このあとやっと朝飯にありつけたのは、
妙高SAで7時少し前に着いて、
信州そばのかけそばを食べています。
晩飯までに七尾に着く予定になっていまして、7日は妻の要望で「黒部のトロッコ列車」を乗りに行っています。
黒部で一度北陸道を下りて、宇奈月温泉と黒部ダムに向かいます。
宇奈月の駅です。
これが黒部トロッコ列車の切符売り場です。
能登地震の影響で完全には稼働していないようで、猫又とかいうところまでしか行けません。
比較的早い時間に到着出来て、素晴らしい景色を見ることが出来ています。
売店でお弁当等を買っています。
白エビ入りのタコ焼き風です。500円。
後で妻から不評をいただいたマスの押し寿司と白エビの天むす弁当( ´艸`)これは1000円。
海鮮チラシは1300円。
黒部ダムや川の水がエメラルドで綺麗なんですよ。
見事な景色とダム。
この季節ですが、トンネル内はかなり寒いと感じるくらいでした。
これは水温だけでなく、深さ等も関係していて、こんな色に見えるらしいです。
今現在は、大人1人2820円で、猫又までの往復となっています。
途中に温泉等もあるようなのですが、途中下車も出来ないようです。
黒部を出て、一路「氷見」に向かいます。
ここが北陸道の終点ですが、実際には高岡で有料区間は終わっています。
氷見と言えばブリらしいです。
せっかくなので、お寿司を買っていただいていますが、妻は「お腹いっぱいで食べられない」とかいうので、回転ずしに入るのは止めて折を買って外で食べています。
妻はソフトクリーム( ´艸`)
お寿司は入らないけど、ソフトクリームは入るらしい。
氷見の道の駅は足湯(無料)がありまして、入ってみています。
これが結構疲れが取れて良かったです。
氷見の海の眺めをちょっと撮ったんですが、海があんまり写ってないんです( ´艸`)
富山湾です。
七尾市の富山湾側をちょっと写真撮っています。
海が綺麗ですよね。
七尾市内に入って、買い物しようとマリンセンターに行った時に衝撃を受けています。
元旦の地震以降、全く営業出来ていないようなのです。
買い物どころではなくて、市内を車で走っていても、閉店や休業しているお店が非常に多い。
結局、やっているスーパーを探して、なんとか買い物しています。
ピュアとかいうスーパーがやっていることが判って、そこで晩飯の買い出しをしまして、隣のヤマキシとかいうスーパーセンターでお酒等は買っています。
夕方にやっと義父の住む徳雲寺に着きまして、
これが正面ですが、正門は震災の影響で通れないのです。
隣りに神社があるのですが、その鳥居も被災で、危険なので近寄らないようにという張り紙と立ち入り禁止のラインが作られています。
大きい石の鳥居なので、真ん中が割れているので危険なのです。
ここ徳雲寺は高階小学校の発祥の地らしく、歴史的に意味ある建物でもあるのです。
この日は義父のたっての要望であった晩飯を一緒に私たち夫婦とでいただいています。
マスの押し寿司を義父の教え子の方が差入れてくれていまして、よく見たらすごいところのものであることが判りました。
この富山名産のマス寿司は国産のサクラマスで作るらしいのですが、その材料が入手が困難になっているようなのです。
この差入れいただいたものは正規の規格で作られているようで、非常に高価なものかと思われました。
カキもその義父の教え子の方が夕方再び来て、差し入れてくれたものです。
ここまで義父が多くの方に慕われていたことは本当に驚きました。
晩年に今回のような震災に遭ったわけですが、義父の場合は学芸大附属高校の教師でしたから、教え子の方々が優秀な方が多いのです。
こんなんで、初日が終わったのですが、
7日の朝3時40分頃に出発して、関越自動車道から長野道、北陸道と通っての初日でした。
明日、2日目からの事は書こうと思っています。
とにかく本日無事にさいたま市の自宅に戻って来ています。
いつもご訪問いただいている方々に感謝しております。
本日もありがとうございました。
ご縁あった方々、訪れてくれる方々が日々幸せでありますように。