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    我が国のキモノの歴史の中で「ナゴヤおび」と呼ばれる帯が、2つあります。

    別物でありながら、両方とも「ナゴヤおび」と呼ばれますが・・・



  「名護屋帯」と「名古屋帯」です。



    現在、一般に出回っているのは、袋帯と比べても締め方が簡単なことでも重宝される、ご存知「名古屋帯」です。

    では「名護屋帯」とはどんなものなのでしょうか。

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                                                   (画像提供:佐賀県唐津市)
 
  「名護屋帯」は、桃山時代から江戸初期にかけて流行した、丸組紐の帯。

    長さは約5mあり、両端には長い房があしらわれます。

    男女とも、この紐を何重にも巻き、前や後ろで蝶結びにして、房を長く垂らす締め方だったようです。

 「名護屋」は今の佐賀県唐津市鎮西町にある地名です。

    豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、ここには広大な敷地を誇る「名護屋城」があり、数万と言う派遣軍の往来や戦場補給の後方基地として賑わっていました。

    その賑わいを見せる軍事基地は、一時的ではありましたが、大都市を形成し、さまざまなモノが流れ込んでは、外へと拡散していきます。

  「名護屋帯」もその類で、朝鮮から入ってきた「韓組みの技法」だとか「南蛮人のガウンのベルト紐」が起源といわれていますが・・・

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                阿国歌舞伎図[一部](画像提供:東京国立博物館)

    兵士たちの故郷への土産物として、そして珍品として、ココ名護屋から全国に広まっていきました。

    その頃始まったとされる「歌舞伎」の演者・出雲の阿国も流行には敏感だったようですから、この「名護屋帯」を締めていたかもしれません。

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                 阿国歌舞伎図[一部
](画像提供:東京国立博物館)
    
    名護屋帯が流行したのは1590年頃から約50年間程ですが、江戸時代の中頃までは盛んに作られ、また締められます。

    それが段々と、巾広で厚く一枚に織ったモノに移り変わり・・・

    さて、皆様がご愛用の、名古屋地方で盛んに用いられたことが由来とされる「名古屋帯」が登場したのは大正時代。

  「帯」も長い歴史の中で、ほんの少しづつですが、進化し続けているのです。