ほんとの不幸って

隙を見つけてやってくるんだね

構えに疲れて

フッと気が抜けている その

隙間から来るような気がする


おとやんは

5〜6年くらい前だったかな

前立腺ガンが見つかって 

グリソンスコア9でね すごい悪性でね

小線源療法 って手術をした

考えに考えて

その方法を選んだのは私だった


手術の前後は私も病室に泊まった

ひとりでは耐えられないほど

それだけ辛い手術でね


でも 病室に通えた それが大きかった

いろんなことを俯瞰できたから

本人の状態 気分 医師のパフォーマンス

把握しながら 戦いに臨めた

だから勝てた と思う


手術から3年が経っていた

3ヶ月に1度の検診 血液検査

クリアしてるうちに

「 もうだいじょうぶだね 」みたいな

そう 安心していた

私の中の臨戦体制が緩みつつあった


ある日 主治医で

何気なく肺のレントゲンを撮ったおとやんは

「 国立病院に行くように って 」と


コロナの最中だった

別棟のコンテナで まずPCRから始まった

ある意味コロナとの戦いの始まりだった

国立病院から 北里大学病院へ回され

またPCR どこに行ってもPCR


医師から

「 間質性肺炎です 」と告げられたけど

私も おとやんも ぼんやりしてた

よく分からない難病を把握できなかった

「 治療方法はありません 」

それでも私は なぜか

いつもの臨戦体制に入らなかった


なぜか すんなりと入ってきたこの病気を

甘く考えていた 私がそんな感じだったから

おとやんも見習って 

なぜだろう 慌てなかった

セカンドオピニオンを探しまくるとか

そんな雰囲気にならなかった


在宅酸素療法を始めてからも

「 だいじょうぶだ 」と思っていた

ネットで見ると 余命2〜5年とあったけど

お風呂に入ったり ご飯を食べたり

野球を見ているおとやんは

きっと死なない いつまでも


なぜだろう 前立腺ガンの時みたいに

絶対に治す そんな気負いは無かった

「 5年は生きるだろう

運が良ければもっと 」

今から思えば

横浜のガンセンターとか

なぜ 相談に行ったりしなかったんだろう


コロナという

暗雲が立ち込めていた 気力を削いだ

どこに行っても

すぐには診てもらえなかった

隔離された


コロナのせいで

入院しても 面会はできなかった

状況が俯瞰できなかった

何をやっているのか全く見えなかった

携帯で 少しずつ弱っていくのを

ただ感じているしかできなかった


前立腺ガンの時は

泊まり込んだ私は マズい病院食を食べ

コンビニで買った美味しいものを

食べさせることができた

お喋りをして楽しませることができた

私の力を吹き込むことができた

病気を治すことさえできる力を


2人が離れていなければならなかったこと

私の力が及ばなくなったこと

それが おとやんが亡くなった原因だと思う

私が臨戦体制になった時の力を

分けられなかったこと

与えられなかったこと


遠まきに ひとりぼっちのおとやんを

見過ごしてしまったこと

手遅れになるまで

医療関係者の手に預けてしまった

何も把握できず 何も見えない間に


事故だと思う

ある日 気を抜いていたために事故に遭った

それは私が気を抜いていたために

そんなハメになったと思う


医師にやられた と思う

死ぬことを前提に看ている人に

任せてしまった

私が居れば 私が病室に居れば

死ななかった 私にはその力があった


私に隙があった

手遅れになる前に家に帰さなかった

今 冷静に考えると

おとやんを殺してしまったのは

私だと思う