借金を背負ったのなんて、いつ知ったか覚えていない。 いくらだったのかとかも、知らなかったと思う。
確か小学生4年の誕生日の時だ。憶えてるよ。 俺の誕生日でステーキを食いにオカンとおとんと行った。 なぜか兄貴がその場にいた事は憶えていないので、居なかったのだと思う。
凄く豪華でコックが技とかも見せてくれるお店だ。 北神戸に有るエンターテイメントな店だ。
そこで俺はハッピーバースデーの歌を店員さんに歌ってもらって写真も撮ったのを憶えている。
そんな店に行くんだ。俺のオトンとオカンも中々のエンターティナーな人だったと思う。
俺にとっていい思い出ばかりじゃ無くなったのはこの後だ。
何故だったか憶えて居ないけど、親父が知り合いのヤクザや社長との仕事の話なのか焼き鳥屋へ家族で向かった。
俺は焼き鳥屋の店の前の自動販売機に空気銃で穴が空くか打って試して居たのを何故か今でも憶えている。たしか空いたのを確認して焼き鳥屋へ入った。
よく顔の知った人達だった。 下田さん(仮名)と猫田さん(仮名) と言う人だ。
下田さんは地元でも有名なポン中(覚醒剤中毒者の隠語)で土地をやったりして、その頃は羽振りも良かった。恐らくシャブの景気もバリバリだったんだろう。 しかし小学生4年の俺にはそんな事を知る由も無い。
それで猫田さんは、なんかの会社の社長だと言ってたのを憶えている。
この人とは地元の近くの加古川でバーベキューを夜に親父と3人でやったのを憶えている。
そして俺はお気に入りのエアガンを眺めていると、下田さんが俺のエアガンを取り俺にエアガンを向けて来た。
「 打つぞーって」
俺はなんの事だか、まさか打たないだろと思っていたし、すぐに猫田さんが、「危ない危ない」と下田さんの向けている銃口を手で抑えて辞めさせた。
今大人になって冷静に考えると、ポン中のオッさんだ。 メチャクチャ危なかったよ。
それで俺も退屈していたからなのか、朝帰りや家にいないことが多くなったオトンに甘えるつもりなのか軽く膝でオトンの頭を小突いた。
そっからだよ。 せっかくの誕生日だというのに、引き摺り回されて髪の毛掴まれて蹴り回されていたのを憶えている。 オカンも泣いてたよ。 焼き鳥屋でしばかれたんだからな。 凄い恥ずかしかった。
恐らく呼ばれて行ったんだろう。土地の値段が下がったり、損害が出たのだと思う。
それが10歳になったばかりの俺の誕生日だった。
俺は兵庫県西部に生まれた。 1983年の頃だった。 その時は父親がいて母親が居て、兄貴も生まれてやがっていたという状況だ。
母親は毎日家事をやりながら、服のデザインをやりそれの受注を知り合いからなどハンドメイドで受けながら、まだ小さい俺や兄貴の服などを買う為に仕事していた。
親父は街では有名な板金屋の社長だった。 従業員は3人位だったか居たと思う。
その頃の記憶って、そんなに覚えていないけど、よく従業員のおっさん達に野球やってもらったり遊んでもらったよ。5歳位の時かな。
それから少しして、いつだったか分からない。小学生になった頃かな? それ以前だったかもしれない。
親父がヤクザになっていた。
革ジャン着て、日産32シーマを新車で買ってきて母親とよく喧嘩していたよ。
どこにそんな金が有るんだってな。
親父は板金の仕事をせず、朝帰りで帰ってくるようになった。
俺は学校に通っていた頃、恐らく小学2年とかそんな低学年だったか、幼稚園だったかも忘れたけど、建設会社の社長の息子(同級生)に
「お前のおとんヤクザやろう」
失礼な事を聞きやがる。 俺は気が強いと思っていた。 同じ小学生の奴らと喧嘩したり、シバイたり、していたんだけど、その言葉を言われて固まってしまったのを憶えている。
親父がヤクザってどういうことやねん。
家帰ってオカンに聞いた。
「おとんヤクザなんか?」
オカンは知らん言いよった。
でもオカンは知っとったと思う。 何もかも知っとたと思う。
よう、おとんオカンで喧嘩するようなった。
朝帰りが原因やったと思う。
おとんはよう暴れよった。オカンは殴られたりもしとった。 俺は灰皿投げられた事有ったな。
それからずっとそんな調子や。
おとんは、土地とか転がすようになった。
ヤクザや、不動産屋と付き合いが多くなり、羽振りがいいのか金が無いのかよく分からん生活やった。
バブルが弾ける前のちょっとした時やったと思う。
儲けた奴が、まだ儲けてない奴をええように騙し食らわして、投資に誘ったと思って乗ったら泡が弾けた。
んで、土地を担保に銀行に借りてたりで、3億円近く借金を背負ったと思う。
