竹富島デイゴ回想録5 ~ おいらとデイゴを結ぶ物語 後編 ~
いっやぁ~ ほんとに、すっごく間があいてしまいました
まいったなぁ、もう、ほんとに~
うははっ
前回のブログ見てないひと、見ちゃう?
竹富島デイゴ回想録4 ~おいらとデイゴを結ぶ物語 中編~
⇒ http://ameblo.jp/choudei2nan/entry-11512805733.html
2010年1月28日
旅支度を済ませた デイゴ様は 生まれ故郷の竹富島へ
おいらの手に抱かれて、旅立つことになりました
たった1泊だけの竹富島での滞在予定
自分の都合で決めた、その日の夜
奇しくも、竹富島では、島のデイゴを守るための活動が産声をあげたワケです
そう、「竹富島のデイゴを救おう!」
初めての会議が開かれたのです
旅立つ前に 相談の電話をさせていただいた上勢頭公民館長(当時)からそのことを聞きました
そして、驚いたことに、その会議に出席してほしいと・・
「親(のデイゴ)のピンチを救うため、子ども(のデイゴ)が里帰りする、そう考えてくれればいいから・・」
なんということだろう
知らずとは言え、島の聖域から持ち出してはならぬデイゴの種子を持ち出したおいら
それなのに、悪く言われるどころか 「ありがとう」の言葉
心の琴線に触れる言葉が電話の向こうから聞こえてきました
会議の話は長くなるので割愛しますが、
自分がそこにいること
島の人を始め、いろんな人と結ばれたこと
会議の最後に紹介され、サプライズゲスト(そんないいもんじゃないけど)として歓迎されたこと
この会議が縁で、30年ぶりの旧友との再会、なんてお土産までいただいたこと
全てが夢のような 竹富島の夜でした
翌日の朝
直前まで降っていた雨も ウソのように上り
おいらが種子をひろった 世持御獄(ゆーむちうたき)の聖域で
デイゴ様の植樹式が行われました
式、って大げさな言い方に聞こえるけど
神司の方もこられて・・ ほんと、島の儀式、そんな感じだったのです
バンザイをして喜ぶデイゴ様
おいらには、そうとしか見えませんでしたよ
水牛車が通る道のすぐ脇です
カメラを構えて笑ってるのは、琉球新報八重山支局長さん
数日後の琉球新報に掲載されることになるとは・・ 恐縮です
ちっちゃいので 踏みつけられないように? 木の杭を立てようってことで・・
こういう間も
おいらの心は とてつもなく 嬉しくて
・・・・・
儀式の準備をしてくださる 前の公民館長さん(当時)
みんなできちんと拝んだ後、順番にお神酒をいただく・・
言葉にできない 感謝の気持ちが溢れたひととき
結び、結ばれた 結(ゆい)の旅
このときの旅を一言で表すとすれば この言葉しか浮かんできません
さて、写真は今回の旅に戻りますが
ちょうど 赤い自転車の前かごの右にある石と凹み
この場所に デイゴ様は戻ったのです
えっ?って 思いますよね
・・・・
デイゴ様は ここで
生まれ故郷の御獄(うたき)の土にかえっていったのです
土にかえり、親の成長を助ける役目を果たし・・
竹富島のデイゴを救おう!の活動の一つのシンボルとして その役目を果たしたんです
その成長を見続けたい、そんな気持ちも もちろんありました
娘に会うために 毎年竹富島に旅したい
世の中の親が思うのと同じです
今では叶わぬ夢だけど・・
でもね
かっこつけるわけじゃないんだけど
おいらの心の中には いつまでも バンザイするデイゴ様が生きてます
だから、ダイジョウブ
デイゴ様を島に戻した後、 「かぐや」 という名前をつけました
生まれ故郷に戻り、島のデイゴを守った かぐや
その小さなデイゴの木は おいらにも たくさんの宝物を残してくれました
人との縁、島との縁、結のこころ、詩(うた)、想い出・・
すべて なにものにも変えられない かけがいのないものです
そして、島から帰ったあとも、縁は縁を呼びます
そう、このブログ始めたのも そのご縁から・・
今、あなたがこのブログを読んでいるのも
ちいさな 「かぐや」 の取り持つご縁、ということになりますね
ありがとう、かぐや