竹富島デイゴ回想録3 ~ おいらとデイゴを結ぶ物語 前編 ~
さて、旅の宿 泉屋でばぁちゃんに再会のあいさつをすませたおいら
何をおいても ここに行かなくちゃ始まらない 世持御獄(ユームチウタキ)
泉屋のブーゲンビリアの門を出てすぐの十字路を左に曲がって 後はまっすぐに進むだけ
期待に胸弾ませながら左に曲がると・・
赤ともオレンジともつかない蛍光色のビタミンカラーがおいらの目に入ってくる
「たるりや」 の前を過ぎると
世持御獄
おいらがこの島に帰ってくる理由が ここにあります
あ、もったいぶるつもりじゃないっすよ
つまり、竹富島のデイゴとのご縁が結ばれた場所なんです
ただね、それにはもう一つの布石がありました
それは、2001年4月
おいらが初めて一人旅をした八重山諸島・西表島
そこで、たったひと房だけ咲いていた このデイゴの花においらは強烈に惹きつけられました
その美しさにココロ動かされ カメラに納めましたが その時は名前もわからず
自宅に帰り、アレコレ調べあげた末に、やっとのことで見つけたその名前
そう、The Boom の島唄の冒頭で歌われる あのデイゴ でした
この時から、おいらのココロの片隅には この燃えるような花が咲き続けていたんだと思います
そして、おいらはこの旅を通して、
沖縄の人々や沖縄を旅する人、そして素晴らしい自然のとりこになったのです
最近はあまり聞かなくなりましたが
当時は、 「沖縄病患者」 と呼ばれていましたね 笑
2年後、おいらは仕事で 沖縄の文化講座を企画し 1年かけて開催したんですが
ドクターギカンの 「南風の島(ぱいぬしま)物語」 ~ハイサイ!沖縄チャンプルー~
ってタイトル
カンカラ三線弾いて唄ったり、琉球舞踊に挑戦したり、
ゴーヤちゃんぷるー作ったり、歴史を勉強したり・・
今や、沖縄県の観光部長までなられた 当時の南島詩人・平田大一さんを
はるばる沖縄からゲストとしてお迎えしたり・・
で、その終了を記念して 沖縄へ卒業旅行に行こうということになり・・
講座の講師役 ギカン先生の愛する島 竹富島へ おいらはやってくるワケです
9年前・・ 2004年6月21日 初めての竹富島 初めての世持御獄へやってきました
上の写真はその時のものですが、この時、おいらはここで 豆のような形をした種子を拾います
ちょうど左から2番目の人の白い帽子の辺りデス
でも、花の終わった後だから、それがデイゴの木だとはわからないですよね
さて、写真の右端を見てください
大きな太い木に 「デイゴ」 の名標が付けられてますよね、これでわかったんです!
ただ、この名標がついた木は もうこの世にはありません
デイゴヒメコバチにやられて枯れてしまったんです
あ、デイゴヒメコバチからデイゴを救う運動のことはまた別のお話で・・
というワケで 世持御獄のありがたいデイゴの種子を喜んで 大事に持ち帰ったおいらは
倉敷の自宅で デイゴを育てることになるのデス
西表島で見たあのデイゴの花を 自分の庭で咲かせたい
純粋なキモチでしたが、まさか 大きなタブーを犯してしまっていたとは・・
それから約5年も経ってはじめて、自分が犯した過ちを、おいらは身を持って知ることになるのでした
その出来事を綴ったエッセイ おいらの原点デス
以前にも紹介させてもらったので ご存知の方はスルーしてくださいまし
http://ameblo.jp/choudei2nan/entry-10576287530.html
長くなったので・・
今夜は ここらで
Let's call it a night おやすみなさいましっ
と、ここまで 長々と読んでくださった皆様に
9年前のおいらから お礼を申し上げます うははっ
三拝云 (ミーハイユー) 竹富の言葉で「ありがとうございます」の意デス
よく若く見られますが・・ 実際は ぷぷぷっ
う~~ん、少し太ったなぁ・・