ネット上の個人はもはや重要なコンテンツ
ネット上でのBBS、ホームページ開設、ブログ作成、SNS参加などネット上にて
自由に情報発信または参加できることは当たり前の時代になった。
ナローバンドからブロードバンドに本格的に移行して、
はや7年近くが過ぎようとしている。
この10年振り返ってみて感じることは、誰しもが個人の主張を「簡単に」「すばやく」「より深く」
できるようになった。つい最近までは、HTML、CGI、など習得から始まり
発信なんて敷居が低いものではなかった。
それが発信する行為自体は当たり前になった。それはそれでいいことだとは思う。
これからの時代「個人」が最も重要な時代になる。
今までは個人が重要ではなかったと言っているのではない。
かつては個人よりも組織が絶対的に上位だった社会においては、
各人のパーソナリティはむしろ抑え込むべきものだった。
年功序列によって未来を保障されていた時代だったからこそ、
首輪を付けられてもそれを外すことは難しい状況だった。
変化が生み出す影を抱えつつも、仕事の内容・成果などで、
個人の存在感が増していくことは間違いない。
ITからの逃げることは不可能なのだ。
自己表現というステートメントは、欲求であると同時に、
自分で設定することができるセーフティネットなのかもしれない。
たとえばブログやSNSを通じて、仕事の依頼がきたり、
転職したりといった人の話はしばしば聞く。
逆にブログでの書き込みが原因で解雇されたり、というケースもあるので
功罪両面があるが、今後も個人ステートメントの影響度が増えていくことは
間違いない。そして同時に自己表現の質が問われる。
単純にユーザーがつくったコンテンツ、いわゆるCGM(Consumer Generated Media)を
並べればいいということでもない。それらを理解する、また理解しあう質が
根本的に問われているのではないだろうか?