野:比江山親興、吉良親実、腹を切るだけでなく、一族もろとも滅ぼされてしまうと。

非常に厳しいことになってしまいました。

ですから一族・一門衆の中にこれまでとはどうも違う。

これからは付き合い方を変えて行かねばいけない、いままで思った意見を思いのままに言ったら

それを受け入れてくれたが、ちょっと言葉に気をつけないと大変なことになるといいうことで、

大変長宗我部本家に対する警戒感が表れる一方、この盛親を家督にすると行ったときに、

比江山、吉良に対して(反してという意味ですね)、大賛成をした重臣がいました。

それは誰だと思いますか?

 

パ:いや~・・・誰なんでしょう。

 

野:それが久武内蔵助(ひさたけくらのすけ)という筆頭家老だったんですね。

そしてその久武内蔵助はこのあと、元親の寵愛を一身に受けて、一族・一門衆、そしてほかの重臣よりもはるかに高い待遇を

与えられ、最終的に派ですね、土佐9万8000石のうち4万石を支配するまでに成長したんです。

 

パ:振り返りますけれども、振り返ってみれば織田家中で

明智と秀吉のその家臣の席次争いがあったように、

これまで長宗我部家の中でもですね、同じようなことがこう、一つなんかきっかけが、

この場合では跡継ぎのことですけれども、権力闘争のようなことが起こってしまうんですね。

 

野:そうですね。ですから一族・一門というのは要するに親戚ですよね。そういった者と家臣のトップ、

これがうまくバランスがとれているときには大名家というのはうまくいくんですが、

こういう風のバランスが崩れてしまうと、当然不満を持つ者が現れて、

一枚岩の家臣団というわけにはいかなくなってきますよね。

 

パ:はい。

 

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