野:ということですよね。材木と人材すなわち船乗りを提出させ、それでもって最大限の奉公をしろという命令が豊臣政権から来るわけです。

 

パ:はい。その命令が来ると言うことは豊臣秀吉が次に薩摩島津氏、まっ九州攻めを画策しているということはもう長宗我部元親の目にはあきらかですよね。

 

野:当然そういうことになりますし、それから天下人にふさわしい城、御殿のようなものを矢継ぎ早に秀吉は作りますよね。ですからそちらのほうでも木材が必要なんです。

そういったものに奉公させながら経済力を少しずつ奪い、元親の力というものをある程度抑制する。もちろん全部奪ってしまっては軍役を果たすことが出来なくなりますから、一定手渡の経済力は認めながらもある程度の分については秀吉政権が吸収するというそういうことによってコントロールしやすい大きさに維持する。これが秀吉も最も考えた部分だったと思うんですね。

 

パ:まあ秀吉としては九州征伐の島津攻略のあしがかりとして豊後大分の大友氏のもとに参じよということなんですけれども、それはすなわち四国勢にとって先鋒、さきほどのお話ではにですけれども先鋒で島津勢と対峙せよということでもあるわけですもんね。非常にまた厳しい注文が来たもんですね。

 

野:まあ、それがやはり降伏をし、土佐を一応仮で与えられたことに対する、まあ秀吉にしてみれば見返りとして当然請求が来る。え~秀吉の真意はそこにあったのでしょう。

そしてそれには当然逆らえませんね。

秀吉は非常にその腹が黒いと言いますか、いろいろ先の先のことを考えてるんですが、なんとその命令を元親本人に出すのではなく、元親の長男信親に出すんです。

 

パ:なぜ信親のその命令を出すんでしょうかね?

 

野:それははっきりとした史料が残ってませんので分かりませんが、やはり次期当主の器を見ておきたい。そういう心理があったのかもしれません。

 

 

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