野:そういうことです。そしてこの石谷家というものが斎藤家と親戚でありまして。

斎藤家と言いますと皆さん、斎藤利三という人を聞いたことがあるんじゃないでしょうか。

斎藤利三というのは明智光秀の筆頭家老なんですね。

ですから元親の奥さんの石谷と斎藤が親戚ということは、元親は明智光秀の家老である斎藤利三と

いつでも連絡の取り合える関係があったということなんです。

ですからこの元親の長男、信親の一字拝領の陰には、元親の正室から、

つまり石谷家から斎藤家、斎藤利三から明智光秀、そして明智光秀から織田信長とそういう話の持って行きようがあったからこそ

実現した話であって、この時、明智光秀がいかに信長に重用されていたかということの裏返しになるわけです。

 

パ:はい。ここではじめて、その繋がりというものが見えてくるんですけれども、長宗我部もとちかのその正妻がですね、

こういうところの出自であったということは非常に重要なことですね。

 

野:これはあの、まさに元親にしてみれば本当に最高の嫁取り、まあ今風に言いますと結婚ですよね。

をして。若い頃にまだ土佐が平定されるはるか前に、実は元親はこの奥さんを迎えてるんですけれどもね。

よくそんな縁組みが成立したもんだといまでも、なんでそんな名門から、この土佐の一領主のところに奥さん、来たんだろう。

まだはっきりはそこらへんの理由ってのはわかってない部分もあるんですけれども、事実は事実として名門から輿入れした。

その奥さんの血脈といいますか、親族を通じて光秀、そして信長というラインを作り上げていたというあたりが四国平定戦に臨むにあたって、

元親の大きい切り札になったわけです。

 

パ:まっ、織田信長から見ても自分が非常に重んじている明智光秀、その明智の家老の筋であるということであればですよね、

よもやそう簡単にどういった人間かは分からないけれども、土佐一国から四国あたりを、ものすごい変な言い方になりますけれども、

まあ今は自分の臣下としてやらしておいて、その後の話でもかまわないじゃないかというような考えもあったかもしれませんしね。

 

野:当然そうだと思いますね。まだ信長この段階では強敵がひしめいております。四国の問題だけにかかってわずらってるわけにはいきませんから。

とりあえず明智それから斎藤利三に繋がるラインであれば、まあよし。と一時的に承認したという風に冷静に見るべきでしょう。

 

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