野:それはなぜかと言いますと、時はもう天正8年になってきました。実は天正8年頃から織田信長が明智光秀を遠ざけはじめるんです。

あれほど明智を高くかっていた信長が非常に明智に対してつらい、残酷なですね、対応をするよう、これはもうドラマなどでも皆さん見てご存じと思うんですが、あの通りなわけなんです。

ですから明智の立場が織田家中の中で非常に悪くなってくる。そうしますと明智につながっていた武将たちの存在価値も信長から見るとだんだん遠くなり、はっきり言えばいらなくなってくる。そういう状況が天正8年頃から生じ始めているわけなんです。

 

パ:長宗我部元親は、まっ、戦線を拡大していきました。拡大することもかなわない。かといって縮小するわけにもいかない。

もう引くに引けない状況なんですよね。元親どうしたんでしょうか。

 

野:そうですね、あの、彼の日記でもあればほんとに読んでみたいんですが、ほんとに大ピンチだったと思います。

もう引くこともできない。出ることもできない。どんどんどんどん戦場が広がり、支配域が増えていくという前提のもとではつらいことにも耐えられる土佐の将兵たちも膠着ってのは一番これ、しんどいわけです。

ですからその天正8年から9年あたりは元親にとっては本当に試練の時間帯だったと思うんですが、恐れていたことがおきちゃうんです。

 

パ:さあ、恐れていたことと言いますと?

 

野:信頼していた自らの一族、親戚関係である、まあ重臣ですよね。波川玄蕃という人が謀反を起こすんですね。

 

パ:ついに長宗我部家中にもほころびが生じてしまうような事態にまでなったんですね。

 

野:これは大打撃だったわけなんですね。しかもこの波川玄蕃という人と、なんと大津で元親が大事に大事に養育をしてきた一条氏の忘れ形見がいましたね。あの男の子が、だいぶ成人しておりますけどね、どうも裏でつながっていたのではないかという証拠がでてきてしまいまして、元親はこれを放っておけなくなるんです。

岡豊の目と鼻の先ですからね。

あの謀反人波川玄蕃と、あの一条の忘れ形見が、自分の娘を嫁がせてるんですよ。でゆくゆくは成人させたらまた幡多郡に戻して、中村の城主として取り立ててやろうと思っていた、その一条氏がなんと波川と結びついていたということになってしまった。

殺すことは出来ませんから、一条氏を追放、波川玄蕃は誅伐するということをやらなければいけない。大変な事態がこの天正8年におきちゃったんです。

 

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