パ:さあ、そこから、では阿波・讃岐に対してのいよいよ長宗我部元親は具体的な軍事作成に出るのですか?
野:そうです。基本的にはですね、あの国境を越えて農閑期、なんせ長宗我部軍の主力は皆さんご承知のように一領具足と言われるような有力農民を臨時に取り立てて、武将の格好をさせてというような形が多いですから兵力の大半は農民と考えていいわけですね。
そうしますと農繁期には出撃が出来ない。稲刈りが済み、田植えがはじまるまでの限られた時間帯しか出撃できませんから、その期間に数万あるいは数千という兵力を動員するんですが、阿波・讃岐2カ国に対して同時作戦を展開しておりますと兵がまったく足りません。
ですから今申し上げましたように足らない分は地元の兵が戦うわけです。
地元にいる元親の同盟者たちが先頭を切り、土佐勢に仇なす三好、その主力とそれぞれが戦っていくわけですから、東讃岐の三好勢を攻略する時には土佐勢とは言いながらも実は先陣を切っているのは西讃岐の兵が土佐勢として先鋒を切っていくわけですね。その後詰に土佐から来た将兵が加わると、こういう形の軍編成になっています。
パ:はい。しかしまあ地元の人たちですから地の利にも明るく通じているということからいけば讃岐の先鋒にはうってつけですもんね。
野:まっ、道案内もできますし、敵の罠にもひっかかりにくい。しかも先陣を切る部隊が一番損害が出ますので、元親からすれば自分の将兵の損害を減らすこともできる。一石二鳥どころか一石三鳥くらいある。
またとない軍編成、戦の仕方だったと思います。
パ:あの~、それほどまでにやはり大義名分ていうものの大切さといいますか、いかにその義のある戦いであるのかということを理解していくということがこの時代にあっては飛び抜けて大切だったということがよくわかりますもんね。この動きを聞くと。
三好氏はやはりこの長宗我部軍の侵攻によって追い詰められていったんですか?
野:徐々に劣勢になっていきまして、度重なる戦でも寝返りが出たりどんどんどんどん家の力は弱っていくんですが、ここで起死回生の一発を撃つわけです。
パ:はい。その起死回生の一発とは?
野:三好はですね、実は羽柴秀吉に誼を通じて、秀吉の力を使って自分たちの立場を好転させようという、そういう思い切った手に出るんです。
え~この頃の羽柴秀吉の織田家中における席次は決してトップではありません。だいぶライバルは減ってますがまだまだ自分が一番上ということはなくて、4番手、5番手、まだまだこう上を望んでいる状況ではあったわけです。
明智のほうがやはり当然トップに近い位置に、信長のすぐ近くにいたと。こういう状況の中で、羽柴秀吉がいずれは信長様のもとで自分が筆頭の立場に立ちたい、こういう気持ちは当然ありますから、おりにふれて自らの秀吉軍という、この秀吉の軍勢というものをいかに強く、そして信長のために役に立つようなそういうものに作り上げるかと、それにやっきになってるわけですね。
このころは一途に信長に仕えているわけですから。
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