高知県立歴史民俗資料館さんで、御城印か缶バッジがもらえる「土佐の七雄」スタンプラリーが9月11日から始まっています。




この「土佐の七雄」はそもそもどの書籍に載ってるのか?自分たちが言ってたのか?

と気になり調べてみましたので共有します。

 

よく、「土佐の七雄」とか「土佐の七守護」とか言われ、元親公のころの状況と思ってる方も多いんですが、実は元親公の祖父の兼序公のころの状況といわれています。

また、自分たちが「七守護だ!」と言ったことは確認されておらず、

元親公の家臣であった立石正賀さんが1660年頃に書いた「長元記(長元物語)」に出てきます。

 

『土佐の国七郡、大名七人、御所一人と申すは一条殿一万六千貫、津野五千貫、大比良四千貫、吉良五千貫、本山五千貫、安喜五千貫、香宗我部四千貫、長宗我部三千貫、以上八人之内、一条殿は各別、残て七人守護と申す。』

と記してあるそうです。

 

長宗我部元親・盛親を書いた平井上総先生も著書の中でおっしゃっていますが、

家臣が記したとはいえ、後世の軍記物ですから、記憶違いや誇張なんかがあるかもしれませんので、それは注意すべきかと思います。

 

スタンプラリーは2021年2月28日まで。

ちなみに御城印のデザインは2ヶ月ごとに変わるそうです。

なので、3種類あるとお聞きしました。

 

参考:山本大「長宗我部元親」吉川弘文館、1960年

 

長宗我部文書編纂所編纂所職員Aの無駄話:

第8話の無駄話のところで、七雄は元親記とかきましたが、長元記の間違いでした。

申し訳ありません。

やはりネット情報ではなく、書籍にあたらないといけませんね。

このブログも自分でいうのもなんですが、書籍にあたってご自身で確認いただくのが一番だなと思います。

自分自身は今後こんなことのないように、しっかり書籍から根拠を調べ、

発信していきます、申し訳ありません。