チョロちゃんが小学校に入学して最初の担任は異動してきたばかりの女の先生でした。
チョロちゃんと年の近い子どものお母さんでもあり、色々大変さが残っていた頃だったのでこの先生の大らかさにホッとしました。
全てが初めてづくしだったので、新しい事が始まる前に先取りで練習して備えてくれました。
例えば縄跳びや鍵盤ハーモニカは段階的に教えてくれました。
小学校では長縄跳びもあって、年に数回全校で縄跳び大会をしていました。
一人で跳ぶことができても長縄跳びは全く別物で、しかもかなり速い
最初の大会では特別措置で
跳ばずに通り過ぎるだけでいい。
という対応をしてもらいました。
チョロちゃん以外にもそういう子達がいました。
その後、練習して跳べるようになりました。
まだ跳べない子がいてチョロちゃんがその子の次に並んで
「僕が背中を叩いて合図したら入っていけば跳べる」
と、タイミングが掴めずに跳べなかった自分の経験を踏まえて声をかけているのを見て、嬉しかったのを覚えています。
中学生になっても相変わらず長縄跳びはあって、かなり高速なのですが小学校からしているのでみんなお手のものでした。
学習の方は小学低学年は勉強という感じではまだありませんから、漢字を覚えたり、計算問題を解くと言った事が主でした。
ひらがなは3歳の時には読めていたので困る事はありませんでした。
特別に教えた訳ではなく知育玩具で文字を触るとその文字を発音してくれる(しかもアンパンマンの声)ので、勝手に覚えた感じです。
数字の概念も10まで数えられるようになったら次は同じ事の繰り返しなので、100、1,000…とこれも特別教える事なく自分で理解して覚えました。
そういう事よりも当時大変だったのは、トイレで大きい方をしたい時、ズボンとパンツを脱がないとできなかった事でした。
膝の所まで下ろしてではダメで完全に脱がないとできなかったので、先生に助けてもらう必要がありました。
感覚過敏が関係しているのだと思いますが、これもいつの間にか出来るようになりました。
プールの前の水のシャワーは「痛い」ので、交流学級のベテラン先生が掌ですくった水をかけてくれてクリア。
この先生は給食の時に
「この牛乳は臭くて飲めない」
と言ったチョロちゃんにコップを持ってきて、そこに注いで飲ませてみよう。
等の工夫をして下さったり、(偏食で食べられない物ばかりだった頃だったので)チョロちゃんが好きな魚が出たらそっと自分の給食の中から取り分けてチョロちゃんのお皿に入れてくれたりしましました。
まだまだとても大変だった低学年の時にお母さんの様な先生方の温かい対応で大丈夫が増えていきました
凸凹育児を頑張っているお母さんへ
新しい一日が始まりました
今日も一緒に凸凹育児を楽しみましょう