過去の自分を否定しないこと。
ちゃんと見てくれる人はいた。
一番近くで
自分が見ていた。
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週末、旦那さんと一緒に私の実家へ帰りました。
地元のお祭りがあり、打ち上げ花火がとても有名で、私の家は、桟敷にいかなくても素晴らしくよく見えるところにたっていまして、花火を満喫してきました。
花火の打ち上げの次の日、
なんだか暑さにやられてしまい
14時くらいから、お昼寝をしていました。
(いつもなんですけども(笑))
そのとき、眠気と疲れに勝てなくて、旦那さんを完全野放しにして寝ておりました。
そしたら、旦那さんは、
母と1時間近くおしゃべりしていたそうです。
寝すぎた私がボサボサの髪で起きてきたとき
何故か母は泣いた後みたいな顔をしていて、私が理由を聞いてもなんでもない、と笑うばかり。
それで、もう、まぁいいか、と気にしてませんでした。
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そしたら帰りの新幹線で旦那さんが話してくれました。
母が2年前、病気になったとき、私の支えに本当に感謝している、とか。
私がいままで資格やら大学やら、本当によく頑張たことを知っている、とか。
とにかく、本当に、素敵な子だと、私のことを泣きながら話していたそうです。
それを聞いたとき、半泣きして、そして
あぁ、過去の自分をないことにしなくていいんだな、としみじみ感じました。
心屋を知って本当に私はよかったと思っているけど、どこかで、今の自分はまるだけど、過去の自分はだめだった、と無意識にバツをつけていたなぁ、と思ったんです。
私は小学生のとき、いじめにあいました。
だから毎日、学校に行きたくなかった。
でも、親を悲しませたり、恥をかかせるのが嫌だった。だから我慢して通いました。いじめられていることを親にしられるのも嫌だった。
だから沢山人を観察しました。
どうしたら皆のなかにはいれるか、なにをしたら自分がバカにされずに生きれるか、
そんなことばかりを考えていました。
そして、勉強ができるようになるとみんなは私を頼りにしてくれた。だから勉強をした。
いま思えば、ハテナだらけだけれど、
いい大学に行けば、幸せになれる、というよりは、少なくともバカにされずに生きれる、と。
自分に負けたくない、弱い自分、できない自分を認めたくない、そんな気持ちが強かったと思う。
その根底には、母を困らせたくない。
母にとって自慢の娘でいたい。
母を助けたい。
やっぱりその気持ちがあったのだろう。
そう思います。
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長い年月が流れて
私は心屋を知り、最近は自分の弱いところをダメなところを少しずつ、よしとするように
というかあきらめるようになりました。
条件付きの幸せではなく、いま、このままで幸せ
その考えを知ったとき、楽になったはずなのに
過去、条件付きの幸せを求めていた自分を責めて、親のために動いていた自分を責めて、なきものにしようとしていました。
仁さんが以前いっていた、自分の人生という小説の途中のページをやぶって捨てることをしていたんです。
それは違うな、と、今回のことで感じたのです。
今の自分も過去の自分もどちらも自分であると。
むしろ、過去の自分があるから、私はきっと心屋に出会ったのだろうと。
勉強なんて頑張っていい大学にいっても仕方ない、そんな風にどこかで感じていたけれど、そんな風に思うことはやめようと。
頑張って勉強していい大学へ行った。
大きな企業に就職できた。
国家資格を取った。
頑張ってよかった。
親を喜ばせれてよかった。
できる、ってわかってよかった。
そう思おうと。
なにも悪いことじゃない。
親のために頑張った、なにも悪いことじゃない。
よく頑張ってきたよ、私。
まずはそこを認めてあげよう。
ちゃんと、母は見てくれていた。
旦那さんも見てくれていた。
なにより、私が私を見ていた。
そこを認めないで、まだまだ、と上を目指そうとしたから苦しかったんだろうな、そんなことを、感じました。
これからは、大学のことや資格やらのことで、すごいね!と言われたら、
ありがとう、と言えたら良いな、と思いました。
隠す必要なんてなかったな。
自分できちんと認めてあげることを、大学卒業して10年以上たって、ようやく認めてあげれるなんて、随分自分に申し訳ないことしていました(笑)
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思いつくまま、かきはじめたら、ひどい文章になってしまいました。
そんなこんなで、いまはなんにもしていませんが、私のなかに芽生えるやりたいを大切生きて生きたいと思っています。
最近の私の声は、
まりあさんとその素敵な周りの方たちと沢山交流したいな
マスターコースに行きたいな
それと
子供が欲しい、、、かな。
最後のは、本当に最近、じわじわ感じていて自分でも驚いている。。。
このことはまた改めて書きたいです。