a big embrace and kiss

a big embrace and kiss

妻、母、オンナ。
いま、感じたこと。いまからできること。

Amebaでブログを始めよう!

ブログはとてもお久しぶりです💦

 

以前からフォローさせて頂いている松本綾子さん

『ブロック解除』というものをされると知って

1月下旬は特に、ズーンと落ちていたこともあり

是非にと申し込ませてもらいました。

 

 

あらかじめ、イライラ・モヤモヤを書き出してみる。

あっという間に10個(笑)。

その中で、優先順位の高い3個をお伝えし

綾子さんより

「人からどう思われるか気になる、から、取り組んでみよう」

と言ってもらう。

 

“華やかにしていたら叩かれる”、“成功したら妬まれる”等出てくるのだけど、綾子さん曰く、

「表面的にはいろいろ出てくるけど、取っても取ってもスッキリしない。

本当に押すべきスイッチはどこか。

アプリを変えるんじゃなく、OSレベルで変えるのは何なのかな」

と。

 

* * * *

 

時間をかけて、見えてきたのは、『宗教』。

(私は、母の意向で、幼稚園児か小学生の頃に、ある神道系の宗教へ入信。

30代までは参拝やお祈り、拝読、献金など、紆余曲折ありつつ、細々と縁がありました。)

 

守られているという有難さの反面、

まだ幼かったこともあり

支配されている感覚、有無を言わせない雰囲気の方が強くて。

そこで培われたのが

『この世はおそろしくて、いつか私は罰せられる』

というものネガティブ

私の中にある「正しさで勝ちたい」という強い思いも

宗教から来ているのでは、と💦

 

この設定を最初に持ったのは

母方の7代前の女性が、子どもだったとき

身内が、ある弱者を、理不尽な理由で痛めつけているのを見た際に

「私はたまたま身内だったから助かったけど

反対側に回ったら、どうなることか恐ろしい・・・」

と思い、そこから

「用心しなさい。気を付けなさい」

という教え(?)を子孫に残していったそう。

 

たしかに、祖母、母共に、すごく心配性。

曾祖母も、祖母の進学や恋愛相手に干渉して

思うように選ばせてあげなかったと聞いているし・・・。

 

今回の解除で、その教えを持っていた祖先も解放されたと伺い

本当に嬉しかった。これも孝行だと思う。

 

* * * *

 

今日までの5日間、自分を観察してみました。

明らかに、イライラ・ハラハラの度合いがましですパー

 

小1の息子のゴネた時など、直ぐにキレていたのですが

腹は立つし、「出て行くわ」とか言ってしまいますが・・・、

感情的な波立ち加減が、たとえば50%減、みたいな。

暴風から、強風や、そよ風になった感覚です。

(“にこやかで、人が変わったような感じになる”ではなく(笑))

 

今までは“穏やかであろう”と意識して、するときもありましたが

いまは、結果的にそうなっている感じ。

また、以前のヒステリックな私に戻ったらどうしよう・・・と

つい心配してしまいますがあせる

とにかく不思議な感覚ですキラキラ

 

* * * *

 

「正しさで勝ちたい」案件のひとつ、

ある男性が、手に袋は持ちつつも

散歩中の犬のフンを持ち帰らずに立ち去るのを目撃、

腹を立てるというもの犬

セッションの翌日、玄関を開けたら、まさにその姿が・・・(苦笑)。

でも、

「またやってるなー」

とは思うのですが、これまではあった

「人としてなっていない!物申す

というムカムカ~は湧いてこなかったんですよね。

ああ、よかった^^

 

最後になりましたが、綾子さん、ありがとうございました!愛

 

※友人の皆さまへ

最近はもっぱらInstagramへの投稿になっているので

もしご興味があれば、そちらをのぞいてみて下さいませ

Yoko インスタ

小林詩織さんの魅力覚醒ライフスタイルコーチングを受講、

その中での気付きを残したい。

 

(その内容や魅力は、松本綾子さんのブログ記事をご覧下さい)

 

私の相談事は

『自分らしく生きたいけれど、本当の望みが分からない』

というもの。

 

詩織さんが提示してくれるカードから読み解いていくと、

「難しく考えているけれど、一瞬一瞬を喜びをもって生きれば、

自ずと、別の扉は開く」という言葉に行きついた。

 

 

「柔らかい自分のままで生きたい」と本心では思っているけれど、

自分が傷つかないようにするため、いつからか、

周囲と協調するとか、自分の望みは諦めるとか、

“鎧”をどんどん着込んできた。

 

その結果、そこそこの幸せや安定は手に入るけれど、

躍動するような喜びが分からない。

そのように生きている人に、嫉妬し、胸の内で揶揄する。

人生、こんなもんだろう、と、夢を描くことを鼻から諦めている。

 

それも一つの生き方だけれど、私はもう、別の道を進みたい。

本音で生きて、望みを叶えて、

自分の人生を生きていると実感したい。

 

 

そのために何をしようか。

まずは、

『自分のために手間暇を惜しまない(時間を作る)』。

詩織さんと話し終えた後、

「コーンスープの粉末を、鍋で温めた豆乳で溶いて、飲みたい」

と思った。

でも、基本的に面倒くさがりの私は、

「豆乳を温めた後の鍋を洗うのが面倒だし、

目の前にあるお茶でええやん」

と瞬時に思ったけれど、いやいや、ここですよ。

 

ひとのためなら頑張れるのに、

自分の事は後回し。

(トイレ行きたいな~→1時間後、

爪切りたいな~→一週間後、みたいな)

 

いつもは無理でも、自分のためにエネルギーを使う

ひと時を作る。

ああ、自分で自分を大事にできたな、と、じんわり味わう。

 

その先に、効率、や、調和、を超えた、

ワクワクと喜びがあると信じて。

 

という訳で、スープを飲みつつ、『大豆田とわ子と三人の元夫』

の録画を見たいと思いますッ!

(テレビ番組を録画しても、中々見れない・・・も、

後回しあるあるパンダ

息子の偏食が進行。

肉類と甘いおやつが好き。

 

できるだけバランスを補おうと、心を砕いて、

肉類以外にも、雑穀入りの米飯、

食べそうな野菜を入れた味噌汁や、付け合わせを準備する。

 

それでも、

お肉や竹輪、ツナをつまんで、

後は、ちらっと野菜・・・、ちょっと味噌汁・・・、という調子に、

毎度、

「せっかく、あんたの食べそうなものを準備してんのに、

なんで、そんなに食べへんのよ!!」

とキレる。

で、やり場のない憤りと、心配。

最近はあきらめて、メインはミートボールやソーセージ、

甘めの味付けの煮魚など。

 

 

 

 

食以外にも、漫画を読むようになって加速度的に下がった視力や、

どう見たって綺麗に永久歯が並びそうにない華奢な顎。

いろいろ心配して、目の運動やら、あいうべ体操やら、

なだめたり威したりするも、本人興味なく、続かない。

 

将来困るんじゃないかしら・・・という心配と、

でも思うようにならない現実。

そもそも、息子のことであって、私が過干渉なだけか・・・と、

グルグルと葛藤しているとき、

Masumiさんのブログを読んで、

私自身がいっぱい愛されたかった、が反転して、

いっぱい愛したい、となって、けれど、

同量の愛が返ってこないから、がっかりするんだと

よく分かった。

そっかー、ペットや植物に愛を注げばいいのか、

そもそも、自分で自分を愛するのか。

 

 

 

 

そんな中、昨晩、眠った息子の足首を撫でていたら、

突然、心の深いところから

「この子を守らないと・・・!」

という強い思いに衝かれた。

悲しみのような、私のものではないような思い。

 

そうか、これが根源だったのね。

思い入れが強すぎて、息子との距離が取れない。

だから、ちょっとしたことで感情的になってしまうし、

失敗や困るだろうことを未然に防ぎたくなる。

 

 

でも

本当は自分でも分かっているはず。

彼は、ひとりでも大丈夫。

自分を幸せにする術を知っている。

私がいたずらに介入しなければ、彼らしく育っていくだろう。

私から、その手を、放して。

関東地方に引越して二ヶ月。

 

主に出会うのは、息子の小学校のお母さんたち。

これまで、幼稚園等で会っていた、“こだわりを極めるッ”世界の

人たちから一変、おそらく、ごく普通の感覚の持ち主の方々。

 

私は出産後に出逢った人々の影響で、有機や自然栽培の野菜、

無添加の調味料、どんな飼料を与えた卵や肉かなど、

食ひとつとっても、どんどんこだわってきた。

それが、自分と家族のためと信じて疑わなかった。

 

一方、いま顔を合わせる方々は、周辺の一般的なスーパーで

買い物し、大手ファーストフードを利用することにも違和感を

持っているようには見えない。

 

けれど。

皆さん、健康そうで、屈託がなくて、幸せそう。

内側ではそれぞれ、困りごとや不安は抱えておられるだろうけれど一様に、深刻さを感じないのだ。

 

こちらは言うと、こだわった食、電磁波や洗剤にも

気を配っているにも関わらず、冷え性は相変わらずで、

体や頭が重いことが多く、モヤモヤと考えることもしばしば。

 

これって、一体どうなんだろう。

 

 

 

太平洋が近いです

 

 

 

カレーに例えると、〇-モントカレーを食べてきたけれど

いやいや、それはカレーじゃないよ、カレーと言えば、

スパイスから手作りしないと~、

使うお肉や野菜、ご飯も、いいものをね、と聞き

「えっ、そうなの!?」と、そこからは、

“こだわることに、こだわって”きた。

 

でも、本当に私は、その本格派スパイスカレーが好きなんだろうか。

それが美味しいものだと、頭で食べてないか。

 

自分の体感よりも、これが正しい、これは健康に良い、

この対策をしないと子どもの成長に良くない、

そういう情報を取り込んでは、

自分や家族に、本当に合っているのかを見定めることなく、

いいものだから食べなさい、やりなさいと盲信してはいまいか。

 

その頭でっかちが、心身のしんどさや、功を奏しない虚しさに

繋がっているのではないか。

しかし、それを認めるには、

「ここまで頑張ってきたんだから!」という

謎のプライドが抗う。

 

猿田さんさんがよく、

情報よりも、自分の感覚を大切にして下さいね

と発信されているのだけれど、まさにそう。

 

私だって、〇ーモントカレーを食べて育ち、それがカレーだと思って

美味しく食べて来たんだから、突然、

これからはスパイスカレーしか食べちゃ駄目だ!というのも

無理がある。

 

 

いまの私は、家族は、何を食べたい?

 

某ファーストフードのハンバーガーを食べたくなって、

実際食べたら美味しくて、後も胃もたれしないなら、

それはそれでいいんじゃない?

 

 

どちらでも、いい。

なんなら、

どちらも、いい。

 

そう思うことで、ジャッジが減り、

相手や世間にどうのという以前に、

自分が楽になりそうだ。

 

 

ワイルドな、つばめの巣が完成・・・

息子が保育園を昨日、卒園した。

やっと終わったなぁという感慨深さとともに、

出逢ったお母さん仲間、先生方、園長先生とも

毎日会えるのはこれで最後。

 

また今日は、息子が長く通ったアトリエも

引越に伴い、終了。先生方にご挨拶。

ともに通った方々と別れを惜しむ。

 

・・・本当に、素晴らしい女性ばかりで。

この方々に出逢うために、この園、この習い事を

選択したのではないかと思えるほど。

 

卒園式で合唱したの歌詞のとおり、
『ほほえみ交わして 語り合い』の日々。

 

どちらも、これまで当たり前のように在ったので

終わりが来るなんて信じられない。

 

たくさんの気付き、たくさんの愛をありがとう。

 

そう思っていると、この曲が思い出されて。

 

Do As Infinity 『Yesterday & Today』


何でなんだろうと歌詞をチェックすると。

ここだ!

 

(3分47秒~)

愛しい友よ 力無くしても

駆け抜けよう こんな時代を

愛する人よ やがて互いに

この街に 永遠(とわ)を咲かそう

そして私は いつの日か又歌うだろう 旅立つのだろう

・・・皆さん、お互いに、これからの場所で

新しい日々を綴っていきましょう。

また会う日まで。