あの地震から、一週間。


一週間経つのに、まだ娘は本調子に戻っていません。

昨日も発熱し、病院受診しました。


ちゃんと帰る場所があり、ここには余震もないのに、

それでも引きずっている地震の恐怖。


被災地のみなさん、余震を感じながら生活しているみなさんの

精神的ストレスはどれ程のものかと想像します。


心のケア、年月かけてのたくさんの手厚いケアが必要だと思います。

いくら自分が頑張っても、周囲の支えがなければ、体の回復・気持ちの回復出来ないと思います。


今回の経験で感じたいろんなことを伝えて行くことは、もしかしたら私たちの使命かもしれません。




3月11日、振り返るといくつもの運命の分かれ道があったように思います。


まず、11日の朝 娘の友達と駅で待ち合わせしたあの時も一つの分かれ道でした。


最初予定では、8時40分くらいの電車で千葉に向かおうとしていたのですが、

娘の友達Yちゃんは、待ち合わせ駅まで快速に乗らずに各駅停車の電車に乗ってしまい遅れての到着。


それによって、相葉亭に並ぶ順番も変化したものと思います。


もし、予定通りに到着していたら…

もっと早く入店していて、もっと早くお店を出て、東京に向かっていたことでしょう。


運悪く電車の中で一晩…。という事態も考えられました。



地震発生後、お支払いをして お店を出ました。

そして、駅に向かい 予想していた通りに電車がストップしていることを確認するのですが、

その後、同行していた嵐友Mさんが

「ドコモショップで充電したいし、お店なら何か情報を得られるかもしれない。」と言ってくれた。


私も娘もYちゃんもau。

Mさんがいらっしゃらなければ、ドコモショップに入ろうなんて発想はなかったのです。


店内に入ると、テレビ映像が流れていて 津波被害の様子が映し出されていました。

そこで震源地や広範囲に渡る被害のもの凄さを知ります。


Yちゃんの携帯も電池切れしそうだという。


でも、ここはドコモショップ!どうする?

と思ったときに、娘が充電器を持っていた!


この娘が充電器を持っていたというのも不思議なことなんです。

前の晩から朝にかけて私の携帯を充電していたのですが、朝起きたときに娘が

「私も充電しとけばよかった。あんまり電池がないわ。」と言ったので、

「まだ出かけるまで時間があるし、今からでも間に合うよ。」と私の充電器をそのまま使わせました。

そうしたことで、娘の充電器はバックに入れたままだったのです。

いつもなら それぞれに充電していて、そのままホテルに置いていたかもしれません。



「他社の携帯電話なんですが、充電器はあるので電源をおかりすることができますか?」

と店員さんに尋ねると、

緊急事態ですし 快く「どうぞ。」と言ってもらえました。


そのあと待機所に移ってからも この充電器は活躍することになるのです。



Mさんの携帯とYちゃんの携帯の充電をさせていただいてたので、私たちは店内で過ごすことができました。

外は夕刻に近づくにつれ、気温も低くなっていくし 風も出てきて寒くなっていました。


店内に居させてもらえたことで、寒さは感じずに待つことができました。


それから17時30分頃、Mさんがトイレに行きたいと 駅前の公衆トイレに向かいました。

私たちは店内でMさんを待っていたのですが、

「すみません。そろそろ閉店の時間となります。これから他の待機できる場所にご案内しますので ついてこられて下さい。」と店員さんが話されました。


店内にいた他のお客さんはそのお兄さんについていき、私たちもそれを目で追っていましたが

見失ってしまいます。

Mさんに電話をしてもつながらないし、メールで今の状況を知らせますが

後でわかったことですが、結局そのメールがMさんに届いたのは 夜の8時過ぎでした。


まだ店内に残っておられる店員さんに 皆さんが移動した場所を聞いているところで

Mさんが戻ってこられました。


店員さんの説明によると 場所は公民館。(ちゃんと地図を印刷してくださいました)


Mさんが言われるには トイレの帰りに見たコンビニにはカイロが売り切れていたと言う。


公民館で寒さに耐えられるか?


いつもよりちょっとおしゃれをして ちょっと薄着めの娘たちを見ると、自信がない。


ダメもとで 近くのホテルを当たってみることにしました。



そこがまた大きな運命の分かれ道でした。


向かったホテルは 案の定すでに満室。


「どこか空いてるホテルとか 場所とか情報はありませんか?」

とお聞きすると、

「この隣の建物のお部屋を待機所として提供いたしますので、どうぞお使いください。」とのお言葉。


とてもありがたく お礼を言いながらその場所に向かうと

テレビもあり 椅子もテーブルもあり 暖かい!


1階と2階があり 大きな会議室が2部屋ずつあり、廊下にも椅子・テーブル・テレビ、そしてコンセントがある。


今朝チェックアウトした方々やその日なんらかでホテルを利用していた方々を優先させて

会議室の中に入られており、

私たちは廊下の待合室のようなスペースで過ごさせて頂きました。

廊下と言えども充分暖かいのです。


ただ困ったのは電話がつながらないこと。

メールも届くまでにかなりの時差があるようで、中には8時間もかかって届いたという友人もいました。


受信も問い合わせをしないと入ってこなかったり、ある時間にドドッと一気に何通も入ることもありました。


宿泊していたホテルにも連絡が取れなくて困ってましたが 21時58分にやっとつながりました。

どうやらホテルのある横浜市内は停電してたようで、つながらなかった要因はそこにもあったようでした。


今の状況を説明し、チェックアウトの時間10時までに戻れないかもしれない…とお伝えしたら

またまた快く了解していただき 安心致しました。


23時くらいまでそこにいると、

少し酔っ払った男性がちょっと絡んできた場面があったためか

ホテルの方が「女性専用のお部屋を用意いたしましたので、希望される方は移動されてください。」

と案内をしてくださいました。


そこにもテレビあり、コンセントありで、女性ばかりなので娘たちは遠慮なく床に寝転がり体を休める体勢になれました。


何度も何度も余震を感じながらの一夜。

一番強かったのは 長野県が震源地だったときでしょうか?

意外と茨城県が震源の時は余り揺れなかったり 地震予報警報が鳴るときは揺れなかったり

地震の仕組みは不思議なものだなと感じました。


テレビの速報によると、交通機関が動き始めるのは7時以降だといいます。


あくまでも予定。

外が明るくなり、夜が明け6時を過ぎたころから

どう動くか決断しなければなりませんでした。


7時に運転再開を期待して駅に向かうか?

まだまだ見込みがつくまで 暖かいホテル内で待機を続けるか?


これも重大な決断でした。


一歩でも前に進むことを願って 駅に向かうことを決断しました。



駅につくと やはりJRは運転の見込みがたっていないという。

とりあえず切符を買って ホームで待とうかと思っていると

Mさんが「ちょっと待って!」と京成線を利用してみようと促してくださいました。


Mさんの直感が見事当たり、まもなく電車が到着しました。

総武線がまだ無理なら、できるだけ都内の神奈川に向かいやすい駅まで行こう!と

上野駅まで満員電車に揺られながら向かいました。


これらの選択がうまく行き、私たちは正午5分前にホテルに到着できたのです。


帰りの新幹線の時間に間に合うかどうかドキドキでしたが、

余裕の時間で新横浜駅にたどり着けたのです。



相葉亭で お腹はちきれるくらいたくさん食べていたために

ひもじい想いをせずにすんだし、

千葉にいたからこそ 暖かく安全な場所で夜を明かせたのかもしれません。

朝の決断も功を奏して 待つ ということがほとんどないまま動くことができたように思います。


たくさんの運命の分かれ道すべてで

幸運な方向に導かれたように思うのです。



そして 今回初めてリアルにお会いすることが出来たMさんの存在があったからこそ

私は取り乱さず 不安もそう感じることなく 無事に帰ることが出来たのだと思います。


感謝 感謝 感謝です。



一夜を共にしたただならぬ仲になってしまいましたね(笑)



Mさんのお住まいの地区では まだ揺れがあったり計画停電実施地区にも当たります。


私なんかより ずっと大きな不安とストレスを抱えて過ごされていると思います。


そう思うと もっと頑張らなくては!と思います。



地震に遭い、それでも元気で怪我なく帰ってこれた私たち。


きっと何かの使命を与えられたんだと思います。

自分なりにアクションを起こして行きたいと思います。