今日も朝からお出かけしてましたが、ホテルに戻って休憩中です。
唐招提寺でご朱印帳買おうと思ったら授与所のおばちゃんが「さっき地震あったよね!ズン!て来たよね!?」と言うのですがまったく気づかず。
ほかの参拝者でも気づいた様子の人はいませんでした。
お寺の拝観中なんてのんびり歩いてるか立ち止まって仏像見てるか写真撮ってるか・・・。
それでも気づかなかったんだから微震じゃないの?と思ったんですがおばちゃんはちょっとびびったようです。
さっき調べたらやっぱり震度1とか2だったけど。。。
さて、一日目の続きです。
三十三間堂を出て次に向かったのは豊国神社。
秀吉さんを祀ってる神社ですね。
この唐門は国宝だそうです。
拝殿。横から回りこめば本殿も見られるし、ほかにも北政所(ねね)を祀っている貞照社もあるらしいけど、ここが本来の目的地ではなかったため、午後の暑さもあいまってArchetのテンションは最低レベルです。
それでもこんなもの見つけたのでパチリ。
ひょうたん型の絵馬。
秀吉さんですからね。
反対側にもたくさん。
「せっかく来たんだし・・・」とご朱印だけもらって早々に引き上げようと思ったら境内の中にあるお稲荷さんの鳥居の向こうに目的地らしきものが・・・・・・。
見えたのは鐘楼。
神社に鐘楼はありませんからね。目的地に間違いありません!
Archetが目指していたのは「方広寺」というお寺さん。
だいたい全般的に言えることですが、奈良に比べると京都はあまり観光客に優しくありません。
この「方広寺」だって三十三間堂前の交差点に『豊国神社 方広寺 ⇒』ってあったきり、豊国神社の入り口石段までまったく案内板ナシ。
しかもいくらさがしても方広寺らしきお寺さんは見つからず、いい加減探すのも嫌になってでもそのまま戻るのも癪なので豊国神社に入ってみたら、何と方広寺さんは豊国神社の境内から行けたのでした。
もちろん表の通りからも入れますが、坂道の上にあるため通りからはそこにお寺があることなどまったく分かりませんでした。
では、なぜ方広寺が豊国神社の境内から行けるのか。
それはこの方広寺もまた豊臣がらみのお寺だからでしょう。
このお寺、鐘楼と小さな小さな本堂しかありません。
創建当時(秀吉さんが建てました)は大仏もある大きなお寺だったそうですが地震で倒壊。その後秀頼さんによって再建されるも落雷による火災で焼失。
以後同じ規模で再建されることはなかったそうで、本堂と鐘楼のほかに見るものは何もありません。
そんなお寺ですが、この梵鐘が実はたいへんなシロモノなんです。
この梵鐘は「国家安康の鐘」といいます。重文です。
鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字が『家康の家と康を分断し豊臣を君主とし、家康及び徳川家を冒瀆するもの』とされ、豊臣氏滅亡のきっかけになってしまったんですね。
なんだか家康の名前を分断しただの徳川を呪詛しただのと言っていたらしいのですが、この鐘が壊されることなく現在もこうして残っているということは、つまるところ豊臣を潰したい家康さんの難癖だったってことでしょうかね。
鐘楼自体はもっと後の時代のものなのかな?
とりあえず天井絵がきれいだったのでパチリ。
京都駅へ戻って奈良に移動します。










