河内論 “サムーにムチュー” | 日常 OF THE DEAD

日常 OF THE DEAD

総合自分自身芸術家
炬燵の王様チョップ・イチロットン
オフシャルブログ






サムー。


言わずと知れた、今月のはじめに週刊誌の記事から世に発覚した、いわゆる“ゴーストライター問題”という爆笑問題の渦中にいる男、今や時の人、【サムラゴウチマモル】、その人である。


恥ずかしながら、私は今回の騒動が起きるまで彼のことを知らなかった。


いや、正確に言えば、その存在自体は知っていたが、まったくもって興味がなかった。


以前、私の母がテレビのドキュメンタリーを観て、いたく感動し、その番組内で扱われた曲が「すごくいい!なんかわからんけど、なんかいい!」という、ボキャブラリーゼロの、もしもグルメレポーターだったら即刻クビな感想を述べていたが、その時も私は完全無視の姿勢を取っていた。


私としたことが・・・悔やまれる。


そう、私は今、サムーに首ったけである。



そもそも私は、旬な芸能人に興味がない。


特に一発屋と呼ばれる人には、その芸風や言動からなんとなく匂いを嗅ぎ分け、まさにブームの最中ですら心ときめくことはほとんどない。


だが、サムーは違った。


その日、自宅で作業をしていた私の耳は、点けっぱなしのテレビから流れてきた彼のニュースをキャッチし、すぐに私はそのワイドショーに釘付けとなった。


しかし、その時点ではまだ、サムーに関する情報は少なく、それでも私は、彼のその一種独特の風貌(ジ・アンダー・テイカー@WWE)に魅了され、もはや虜(とりこ)になっていた。



そして、先日の記者会見である。


もう一人の主役、ニイニィ、登場!


そう、サムーの元相方、【ニイガキタカシ】だ。


尚、また彼も相方に負けず劣らず抜群のキャラであった。



記者会見の内容は皆さんもご存知のとおり、もはや説明の必要はないかとは思うが、ここで簡単に事の起こりから、騒動のあらましを振りかえってみよう。



サムー 「おい、スネ夫(ニイニィ)!明日、リサイタルやるからなぁ、曲作ってこいよぉ!」


ニイニィ 「えっ?!ジャイアン(サムー)、そんなの無理だよ、明日までになんて・・・」


サムー 「なんだとぉ!口答えしたら、ブン殴るぞぉー!!」



と、いうことである。



つまり、ニイニィは長きに渡って、サムーの無理難題に答えてきたのである。


ちなみに、ここではのび太とドラえもんは登場しない。


何故なら、そこにあるのは完全なる支配者と服従者の世界、親分と子分の世界だからである。



ニイニィはすぐ作曲に取りかかった。


彼は才能だけはあり、たちまち何曲もの名曲が生まれた。


時に、それらを聴いたサムーからダメ出しを受け、なんだかよく理解のできないイメージだけを伝えられ、それをもとに曲を作るよう命令されたりもしたが、彼は一切の文句も言わず、18年にも及ぶ歳月を費やし、20曲もの作品をサムーに贈呈した。


しかしながら、サムーからのその見返りは[剛田商店]に売っている缶詰や大根、または自分が貸して壊されたラジコンカーなどであった。



そして、相方のサムーは自己顕示欲の塊のような男だった。


彼は自分の才能に絶対的な自信を持っていて、夢を実現させることに対して手段を選ばなかった。


「おまえのものはおれのもの、おれのものもおれのもの」を、まさに地でいく男だった。


だが、周りの評価は違っていた。


彼に自覚はあったかなかったかは別にして、徐々にその綻びは見え始め、そして、ついにその日は訪れた。



ニイニィは“マスメディア”というのび太を利用して記者会見を開き、“世間”というドラえもんに助けを求めたのだ。


彼は会見の冒頭でこう言った。


「わたしは彼の共犯者です」





世の中には二通りの人間がいる。


発想に長けた人間と、技術に長けた人間。


片や、頭の中に溢れんばかりのイメージがあり、だが、それに伴なう技術がない人と、技術はあるが、それを利用するためのアイデアがない人である。


もちろん、中にはその両方を兼ね備えたという強者もいるだろうが、またそれにも限界はある。

たとえば、電気を発明したエジソンが、その後、原子力発電所を一人で手作りで作ったという事実はなく、たとえば、『太陽の塔』の作者である岡本太郎が、あの巨大な建造物を一人で製作したという事実もなく、それでも電気の発明者はエジソンであり、太陽の塔は岡本太郎個人の作品なのだ。


私は思う。

きっと、サムーの頭の中にはとてつもなく莫大なアイデアやイメージがあり、彼はそれを具現化するすべを持たず、逆にニイニィはそのサムーが持ち合わせるすべてを持たず、自らの技術を持て余し、憤っていたのではないだろうか。


二人は本来、車の両輪であった。

それぞれがお互いにないものを補っていた。

だが、それには余りにも片方の自己顕示欲が過剰であり、また片方の意志が薄弱であった。

共犯関係とは恋愛に似ている。

お互いが相手を必要としている時には、それは何ものにも代え難い至福の状態であり、その世界のすべてはうまくいっている。

だが、そのどちらかの欲望や思想が相手のそれを超えた時、その関係はあっという間に崩れ去り、そして、その後、それは憎しみにさえと変わってゆく。


そこに「たら、れば」はないが、もしも、二人が“ユニット”という形態を取り、完全に平等、フィフティーフィフティーの関係だったなら・・・




ザ・ゴーストライターズ

New Single
『HIROSHIMA』
原案: サムラゴウチマモル
作曲: ニイガキタカシ
演奏: ザ・ゴーストライターズ

c/w まとまったお金の唄




漫才/  ゴーストライターズ(まもる&たかし)

『印税』

まもる「どうも、まもるで~す!」

たかし「たかしで~す!」

二人「ふたり合わせて、ゴーストライターズで~す!」

たかし「いや、それにしても、どないやねん、このコンビ名は」

まもる「何がやねん」

たかし「なんか悪いことしてるみたいやんか、ゴーストライターて!」

まもる「しとるやないか」

たかし「アホ、人聞きの悪いこと言いなや、そらあくまでも頼まれてやっとるんやがな!」

まもる「それゴーストライターいうんちゃうんかいな」

たかし「いや、金なんかもうてへんで」

まもる「ほんまかいなぁ?」

たかし「いや、ちょこっともうた」

まもる「どないやねん! もうたんかいな?」

たかし「うん、もうた」

まもる「なんぼほど、もうてん?」

たかし「いや、18年やで、18年で20曲作って、たったの700万やでぇ」

まもる「・・・・・・・・・・・」

たかし「どないやねん、ほんま、なぁ? なぁ?て、なぁ、聴こえてんのかいなぁ!」

まもる「やあやあ言いなやぁ! ちゃんと聴こえとるがな!!」





スネ夫はジャイアンの手下ではあるが、時にジャイアンを利用する。


そして、ジャイアンは表面上一歩前に出ているように見えて、実のところ彼はスネ夫の持ち味を十分に発揮できる場であったり状況を作り、さらに自分の存在感はとどめておきながら、そこにスポットをあてる。


つまり、二人の関係性は上下であるように見えて、実は横、もっというなら“前後”であり、それは時と場合により柔軟に入れかわるといった、コンビとして理想の形なのである。



そう、他人と一緒に行動し、一緒に何かを作り上げる場合に最も重要なのは[信頼]である。


そして、それはすべての人間関係にもいえることである。





いちファンとして、同じ芸術家として、二人の再結成を望む。


そして、耳が聴こえないということが嘘じゃないことも祈る。



嘘は、ダメ!





炬燵の王様







※ちなみに、実をいうと、この文章はすべて弟子のロール発射が書いています。