墓地の中をさまようこと1時間、ショパンのお墓は見つからず、
墓地の入り口に戻ってきました
撮影した案内板を地図にして、先程とは別ルートを歩き、再チャレンジです!
黒丸の20番がショパンのお墓です。
2018年4月10日(火) 午前 10:03
ご参考にgoogleマップを。上空からの墓地の写真です。
Chopin の文字が見えますが、拡大しても木々のためショパンのお墓は見えません。
まず、広い道を進みました。
道が地図と一致しているのか・・・
不安になりながら、進みます。
墓地の中は、斜面もあり、複数の小道に分かれていく箇所もあり、
どちらに行くべきか迷いましたが、
遠くに見えている、右側の小道に入っていきました。
・
・
・
・
・
正解だったようです!!
ついに
ショパンのお墓を発見しました!!
写真等で馴染みの少女像の彫刻が見えてきたので、
すぐにショパンのお墓だと分かりました。
ジョルジュ・サンドの娘ソランジュの夫、彫刻家クレサンジェの手によるものです。
すぐにショパンのお墓だと分かりました。
ジョルジュ・サンドの娘ソランジュの夫、彫刻家クレサンジェの手によるものです。
2018年4月10日(火) 午前 10:13
書物などで、お墓そのものの写真しか見てこなかった私は、
お墓の前の道幅が狭かったのは意外でした。
3千人くらいが集まったマドレーヌ寺院での葬儀の後、
柩はこの場所にやってきました。
その時に、お墓の前にいた人は、
ほんとうに限られていたのだと、あらためて実感しました。
ほんとうに限られていたのだと、あらためて実感しました。
その人たちは誰だったか?
記録には明確に残っていなくても、
想像できます。
記録には明確に残っていなくても、
想像できます。
ショパンの願いで、数ヶ月前にポーランドから来仏した姉のルドビカ。
ショパン最後の日々に、ニースから駆け付け、
病床で歌った女性、デルフィーナ・ポトツカ。
病床で歌った女性、デルフィーナ・ポトツカ。
マドレーヌ寺院での葬儀の後、柩に寄り添って墓地に向かった人々。
その一人に、親友のドラクロワもいました。
(ドラクロワは、ショパンと同じこの墓地に入りました)
その一人に、親友のドラクロワもいました。
(ドラクロワは、ショパンと同じこの墓地に入りました)
みんな、葬儀からお墓の前まで、ショパンの傍にいたはずです。
ショパンのお墓には、世界中から人々が訪れ、
お花が絶えることはないと言われています。
この日も可愛らしいお花たちが目立たぬよう控えめに、
居場所を確保し、
ショパンと対話しているようでした。
居場所を確保し、
ショパンと対話しているようでした。
パリは前日雨でしたので、お花も少し濡れていました。
私はつい怠けてしまいました・・・ 次回のパリではお花を持参したい!
心がこもったお花たちに囲まれて、ショパンも嬉しそうです。
お花の他にも・・・
ショパンが見つめるのは・・・
ファンの想いが伝わります。
”いつもショパンとともに”
少女像は、森の中に差し込む朝の光に照らされていました。
この少女像の前に立った私は、
ショパンの病床の絵の中で、
ベッドに横たわるショパンの傍で泣き崩れるソランジュの姿と重なりました。
夫が制作したこの墓碑には、
ソランジュも何がしか関係したのではないでしょうか・・・
ソランジュも何がしか関係したのではないでしょうか・・・
いや、
大いに関係していたのかもしれません。
ソランジュは、
ショパンとサンドの別れに大いに関係していましたが、
小さい頃からショパンの奏でるピアノを聴いて育ち、
ショパンは終生、ソランジュを大切にしていたことは
ショパンの手紙からもうかがい知ることができます。
朝、早かったからでしょうか、ショパンのお墓の前で1人で過ごすことができました。
途中、団体客がやってきましたが、お墓の前だけ見て、すぐにいなくなりました。
もったいない。
もったいない。
私は、お墓を上から見てみることにしました。
2018年4月10日(火) 午前 10:27
この後、同じ墓地内にある、ドラクロワのお墓を探しましたが、
見つからず、
墓地の入り口に戻ってきました。
見つからず、
墓地の入り口に戻ってきました。
また、先程と同じように案内板のお墓の位置を撮影して、再チャレンジを考えましたが、
もう疲れていました。
もう疲れていました。
ドラクロワのお墓は、次回のパリ旅行までおあずけとして、
墓地を出ることにしました。
墓地を出ることにしました。
2018年4月10日(火) 午前 10:46
↑↑
出入口の横に案内所があって、墓地内の地図を入手できることを、先日知りました。
出入口の横に案内所があって、墓地内の地図を入手できることを、先日知りました。
墓地の外に出て、次の行先、
ペール・ラシェーズ駅から地下鉄に乗り、
レピュブリック広場を目指しました。
ペール・ラシェーズ駅から地下鉄に乗り、
レピュブリック広場を目指しました。
レピュブリック広場の記事(クリック)は、既に書いていますので、
よろしければ見てください。
■関連記事へのリンク
では、また。