【娘についての考察】雅歌5章8節
雅歌5章8節でシュラムはこう語ります。 「エルサレムの娘たちよ、私に誓ってください。」
この「娘たち」という言葉——新共同訳では全て「娘」で統一されています。しかし原語を丁寧に読むと、雅歌には女性を表す三つの全く異なる言葉が使い分けられていることがわかります。
雅歌に登場する三つの女性の言葉
בָּנוֹת(バノット)——娘たち 5章8節など、「エルサレムの娘たち」に使われている言葉です。בַּת(バット=娘)の複数形で、エルサレムという場所に属する女性たちという意味合いが強い言葉です。
עֲלָמוֹת(アラモット)——乙女たち 聖書全体でわずか七回しか登場しない言葉です。「性的に成熟した、または間もなく成熟する未婚の女性」というニュアンスを持ちます。6章8節の「数えきれない乙女たち」に使われています。
נָשִׁים(ナシーム)——女性たち 年齢も身分も問わない、成人した女性一般を指す言葉です。6章8節の正室・側室に使われています。
新共同訳がこの三者を全て「娘」で統一したことで、原語が持つ重要な区別が日本語では見えなくなってしまっています。
6章8節の三者の意味
6章8節には正室60人、側室80人、数えきれない乙女たちが登場します。
正室60人(ナシーム)——ヤハウェを崇拝している者。 側室80人(ナシーム)——ヤハウェを信仰する候補にある者。 乙女たち(アラモット)——ヤハウェを信仰しない異教徒。未婚のまま神と結婚できない者。
この三者は明確に区別されています。
5章8節の「娘たち」とは誰か
では5章8節の「娘たち」(バノット)とは何者なのか。
当時のイスラエルで神に仕える者はレビ族が中心でした。しかし聖書には神殿に仕えた女性たちの記録が残っています。
出エジプト記38章8節と第一サムエル記2章22節には——会見の幕屋の入り口で奉仕した女性たちが記録されています。彼女たちは神殿の祭服を縫い、祭儀用の亜麻布を準備し、神殿の垂れ幕を織り、祭儀的な祈りを捧げる役割を担っていました。
さらにミシュナーには神殿の垂れ幕を織った82人の聖別された処女の記録があります。ギリシャ語では「閉じ込められた処女たち」と表現されており、これは単なる若い女性ではなく——大祭司に近づく特別な祭儀的役割を持った女性たちでした。
古代イスラエルでは女性は神殿礼拝から排除されていませんでした。女性たちは神殿で音楽を演奏し、祈り、宗教的な行列で歌い踊りました。
娘たちは巫女的な存在だった
これらの記録を合わせると——
エルサレムの「娘たち」(バノット)は—— 処女として神殿に仕えた女性たち。 祭儀的な役割を持つ巫女的な存在。 神への誓いを取り次ぐことができる立場にある者。
城壁の上に複数の女性たちがいた——それは神殿に仕える処女たちだったのかもしれません。
だからシュラムは「誓ってください」と言った
シュラムが「お願いします」ではなく「誓ってください」という言葉を選んだことには深い意味があります。
単なる伝言を頼んだのではない。 神への誓いを取り次ぐことができる者に——神への報告を託した。
シュラムの「愛に病んでいる」という訴えは—— 個人的な感情の吐露ではなく—— ソロモンを守る役目を果たせなかったことへの—— 神への正直な報告だったのかもしれません。
娘たち(バノット)という神殿に仕える処女たちだからこそ—— その誓いは神に直接届く。 だからシュラムは彼女たちに託した。
エルサレムの娘たちへの誓いの願いは——神への祈りと同じ重さを持っていた。