2024.5.11

シルバーハイキング例会。大阪府の南、岬町淡輪(たんのわ)の町を歩きました。

淡輪の歴史についてはこのサイトをご紹介させていただきます。

リーダーの案内でいろいろなところを一巡りしました。

 

南海電鉄淡輪駅をスタート。

明治39年に開業されました。今の建物は大正時代のものだそうです。

 

自動改札の右手に石造りの立派な改札が残っています。

 

駅の南、山側に大きな前方後円墳があります。淡輪ニサンザイ古墳です。

 

宮内庁により第11代垂仁天皇の第2皇子、五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)の墓、宇度墓に治定されています。

 

地域には淡輪八宮座として八つの氏神が祀られ神職はおらず持ち回りしています。

ここは伯母殿社

 

 

大きな槙に木の前にあった小さな祠。白菊大明神だそうです。

 

祓殿座(はらえとのざ)神社の大椋(大阪府の天然記念物)が見えます。

 

淡輪八宮座のひとつです。

 

祠の後ろに建つ大きなムクノキ。大きなコブが目立ちます。

 

船守神社まで来ました。

 

本殿は、豊臣秀頼の命により片桐且元が造営したもので、三間社流造の桃山様式を残し、国の重要文化財に指定されています。

 

紀船守(きのふなもり)・五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)・紀小弓宿弥

(きのおゆみのすくね)の三柱が祭神として祀られています。

 

こちらも大阪府の天然記念物されている樹齢800年と言われる大楠です。

 

 

 

 

綺麗に並ぶ参道の石灯籠

 

淡輪八宮座の一つ。天照大神の弟、月読神を祀る月の宮社。

 

奥に小さな祠が建っているのが見えます。

 

月の宮社から西林寺へ行く途中、淡輪氏の屋敷跡がありました。

 

この付近はこの地の地頭、淡輪氏の邸跡だったそうです。淡輪徹斎の娘、「おこよ」が豊臣秀次の妾、小督の局となりましたが秀次の死に連座し、三条河原で処刑されました。二人の間の子「お菊」の伝承が残っています。お菊松もその伝承です。

大坂夏の陣の前哨戦、樫井川合戦で淡輪六郎兵衛が塙団右衛門と共に戦死しました。

前半の報告はここまでです。

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