2024.4.23
古市古墳群は羽曳野市と藤井寺市にまたがる大和川と石川が合流する西側に集中
しています。古墳時代中期に築造されたものが多い古墳群です。
考古学的観点や歴史学的観点によりいろいろ解釈されているようです。
ブログでは案内していただいた個所を紹介するのみで詳しい説明は省きました。
二回に分けて報告します。
雨が降りそうな気配の下、急ぎ足での現地見学になりました。
9年ほど前に歩いたもう少し詳しい報告がここにあります。
応神天皇陵古墳の入り口のベンチでお弁当。入り口には誉田(こんだ)丸山古墳が
傍にあります。この場所ではどちらの古墳も写真に写しても今一つ。
ということで写真がありません。
でも、誉田丸山古墳からはすばらしい出土品がありました。金銅透彫鞍金具です。
これは日本最古級の馬具と考えられられています。点で貴重な資料ともなっています。作りの精巧さと意匠の壮麗な鞍金具は他に例が無く、国宝に指定されています。
応神天皇陵古墳は全国第2位の規模の古墳ですが今日は見学を省略しました。
雨はどうやら持ちそうな気配。午後の部へ。
誉田丸山古墳と道路を隔てて前方後円墳の大鳥塚古墳があります。
墳丘に登れます。以前はここでお弁当を食べました。
前方後円墳の形がよくわかる手ごろな規模の古墳です。
小室山古墳へ着く手前。西名阪自動車道をくぐりますが高架下にある赤面山古墳。
自動車道の北、赤面山古墳の北に小室山古墳があります。
わき道を歩いて
少し離れて眺めると前方後円墳の形がよくわかります。
仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳まで来ました。
古市古墳群では応神天皇陵に次ぐ大きさです。前方部から後円部を見ています。
前方部の直線です。
仲姫命陵古墳の南側に、3基の古墳が並んでいます。古墳の間に住宅が建っています。
三ツ塚古墳と呼ばれ、仲姫命陵古墳の陪冢(ばいちょう)とされています。
西側の助太山(すけたやま)です。
真ん中の中山塚古墳です。
東側の八島塚古墳です。中山塚古墳と八島塚古墳の間にマンションが建っています。
このマンション建設に先立ち発掘調査した結果、周濠跡から修羅が出土しました。
三ツ塚古墳の道を挟んで北側には土師の里埴輪窯跡群があり、古墳の築造に携わった
だけでなく埴輪の製造などにも土師氏の業績の痕跡がみられます。
道明寺まで来ました。道明寺の前身は土師氏の氏寺、土師寺です。
一時衰退したものの菅原道真の時に再興され、道真の号であった道明をとり道明寺と
改称されたそうです。山門です。
道明寺境内。
護摩堂。
大師堂。
本堂。本尊は十一面観音立像(国宝)です。
今回は道明寺天満宮へは寄らずに允恭天皇陵古墳へ向かいます。
途中、近鉄南大阪線の踏切を渡ります。渡った左手に唐櫃(からと)山古墳です。
允恭天皇陵古墳の陪冢と考えられています。道路と線路で削られてしまっています。
唐櫃山古墳の少し先に允恭天皇陵古墳がありました。
最終地点の近鉄土師ノ里駅へ。
国道170号線を挟んで駅と反対側(西)に鍋塚古墳がありますした。
今回の古墳巡りの報告はここまでです。