2023.5.25
泉南市埋蔵文化財センター主催の「飛鳥の天皇陵と宮跡をめぐる」と題する久世仁士先生の講座が開催されました。5月11日の教室でのお話を聞き、25日は現地見学。
のんびり長閑な明日香村を散策しながらの見学。聞きかじりの情報を付けて2回に
分けて報告します。聞き間違えて報告している箇所があればご容赦ください。
何度も訪問していますがここに飛鳥古墳巡りをした時の報告があります。
今日のコース
近鉄飛鳥駅~欽明天皇陵~吉備姫王墓~カナヅカ古墳~鬼の雪隠・俎板~
天武・持統陵~亀石~川原寺跡~飛鳥宮跡~飛鳥宮跡苑池~飛鳥寺~水落遺跡~
埋蔵文化財展示室~近鉄橿原神宮前駅
飛鳥駅から北へ500mほど行ったところにある欽明天皇陵(檜隈坂合陵)に治定
されている平田梅山古墳です。江戸時代の文久の修復だ大幅に改築されたため元の
古墳状態は定かではないそうです。双円墳から前方後円墳に改造された可能性も。
現在、真の欽明天皇陵はさらに北にある五条野丸山古墳が有力視されています。
欽明天皇陵のすぐそばにその陪冢(ばいちょう)とされている吉備姫王墓がありますが古墳ではないと言う説もあるそうです。墓の垣の中に猿石と呼ばれている花崗岩の石像が四体。左から僧、男と呼ばれる石像。
こちらは左から女、山王権現と呼ばれています。
いずれも18世紀初頃に付近の水田から掘り出されたもので、それ以前はどこにあったか不明です。
ヤマボウシの花が満開。
野花も満開。
宮内庁は欽明天皇陵の陪冢に治定している方墳のカナヅカ古墳を左に眺めながら。
これが吉備姫王の墓の可能性が高いそうです。
明日香村の散策路をのんびり歩いて
鬼の雪隠と言われる花崗岩を刳り抜いた横口式石槨の蓋石です。
これも欽明天皇陵の陪冢に治定されています。
少し離れた小高い場所に同じく欽明天皇陵の陪冢に治定されている鬼の俎です。
雪隠が蓋石、この俎板石が横口式石槨の底石。何らかの力で切り離されたものです。
石には楔の跡穴が見受けられます。
この場所に隣接してもう一つ底石があったそうですが、明治のころ割られて民家の
庭石に転用されていたそうで、今は橿原考古学研究所の屋外に展示されています。
野焼きの煙がたなびく長閑な明日香村の景色を眺めながら天武・持統陵の方へ。
古墳時代末期(飛鳥時代)持統元年(687)に築かれたと推定される八角墳です。
檜隈大内陵として、天武・持統天皇陵に治定された野口王墓古墳です。
天武天皇の夾紵棺と持統天皇の金銅製骨臓器が納められていたそうです。
大きな亀石があるところまで歩いてきました。カメというよりもカエルみたい。
飛鳥の代表的な石造物。何となく中途半端な仕上がりに感じます。
さらに東へ。遠くの山に岡寺の三重宝塔が見えます。
川原寺跡まで来ました。ここで昼食。
川原寺の伽藍配置は一塔二金堂式の特異なもので廻廊で囲まれた区画には中金堂の
手前右に五重塔、左に西金堂。建物はなく礎石のみが残っています。
五重塔の基壇に残る礎石。向こうが弘福寺。
川原寺は飛鳥寺、薬師寺、大官大寺と並ぶ四大寺に数えられますが平城京遷都と共に
他の三大寺は本拠を平城京に移したのに、川原寺は移転しなかったようです。
中金堂跡の位置に、弘福寺(ぐふくじ)が建てられ境内には川原寺の中金堂の礎石が残されています。礎石は他に類を見ない大理石が使用されています。
川原寺の南には道路を隔てて橘寺が建っています。今日はパス。
飛鳥宮跡遺跡まで来ました。
古くから飛鳥板蓋宮の伝承地とされていました。発掘調査の結果、複数の宮が重複
する宮殿遺構であると確認され便宜的に今は飛鳥宮跡と呼ばれているそうです。
舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極天皇の飛鳥板蓋宮、斉明天皇の後飛鳥岡本宮と天武・
持統天皇の飛鳥浄御原宮に相当すると考えられています。
建物はすべて瓦葺建物でなく掘立柱建物だったようです。
上層部の遺構状態で保存されているため下層部の詳細は不明で全体像はつかめていないそうです。
前半の報告はここまでです。