2015.10.14
泉南市埋蔵文化センターフィールドワーク「歴史倶楽部」も今年度で11年目に入りました。
今年のテーマは題して「古代のみやこ」ということで、一年を通じて飛鳥京から平安京への遷都の流れを、
現地見学しながら学ぶことになりました。過去にいろいろなテーマで何度か訪れたところもあります。
復習をかねて頂いた資料や先生にお聞きしたことを中心に整理しています。聞き違いもあると思いますが・・

 

先月見学した藤原京はわが国初の条坊制を有する本格的都城でしたが、わずか16年後の西暦710年に
元明天皇は奈良盆地北部の平城に「みやこ」を遷しました。
今月は羅城門跡から朱雀門へと一直線に伸びていた朱雀大路をたどって平城京の広さを実感してみることに。

 

 

今日のコース
   JR郡山駅~羅城門跡~朱雀大路~朱雀門~平城京歴史館~奈良文化財研究所平城宮跡資料館~
   第一次大極殿~東院庭園~平城宮跡バス停~JR奈良駅

 

 

JR郡山駅の東口から駅前の通りを左へ佐保川にかかる郡山大橋の方へ歩いて行きます。
金魚で有名な土地だけにマンホールの蓋にも金魚が。
郡山大橋を渡らずに手前の側道を行くと佐保川の堤にぶつかります。この堤を北へ。
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対岸にある水門も奈良らしい風情のある姿をしています。
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郡山大橋から川野堤を300m程北に歩くと佐保川をまたぐ橋が架かる道路にぶつかります。
堤に沿って下って橋の下側に。平城京羅城門跡の説明板が掲げられています。
羅城門は平城京の中央を南北に通る朱雀大路の南端に建てられた都の玄関門です。
続日本紀などにも記され、「唐大和上東征伝」には鑑真一行が来日した際、羅城門で迎えたと記されており、
宗教的な場、外交儀礼の場でもあったそうで、この付近に立っていたことが確認されたそうです。
昭和10年に20mほど南に架かっていた来世橋の改修工事の際、川底から4個の礎石が見つかり、その後も
昭和44~46年の発掘調査では門の基壇の西端部や門の本体は佐保川の西側堤防の真下に位置すること
等が確認されたそうです。この橋は平成4年に撤去されたそうです。
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木製の来世橋は、新しくついた県道の羅城門橋となり、来世橋の袂に来世(らいしょ)墓がありましたが、
今も田んぼの中に残っています。等覚門と正覚門を意味する2基1具の鳥居があるのが珍しい光景です。
手前のガードで囲われたあたりは発掘調査が行われた名残りのようです。
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門の規模は平城宮の朱雀門より一回り大きく京内最大の門という説が有力視されているそうです。
子のガード下に説明板が掲げられています。ガイドの向こうが来世墓。写真左手に川があり橋があります。
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県道に登って佐保川にかかる羅城門橋と名付けられた橋の欄干にも羅城門跡の説明が。
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欄干から北の方を眺めるとはるかかなたに朱雀門が肉眼でも確認できます。
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ズームアップするとこの通り。朱雀門の後ろに第一次大極殿の屋根が見えています。約5Kmの距離です。
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橋を渡り東側の堤をさらに北へ。この川付近が朱雀大路で当時の佐保川はもう少し東を流れていたようです。
県道41号まで来ると秋篠川が西から直角に合流してきます。ここで直角に合流しているのは
安土桃山期に郡山城の外堀として利用するため大和郡山市に入って直角に東に曲げられた為のようです。
この秋篠川は平城京の西を南北に流れていて都の水運を担っていたようです。
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県道41号で佐保川を渡って今度は佐保川右岸を朱雀大路を歩くイメージで北に向かって進みます。
途中、特に見るべきものがありません。東西に羅城門跡があった九条大路、秋篠川が合流した八条大路と
交わりながら平城京のメインストリートと思われる位置を北上しています。
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ほとんどが住宅地になってしまった朱雀大路。途中、柏木公園で休憩。やっと半分近くを歩いた感じです。
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公園は北側が空間部分やスポーツ施設の広場、南側が大きな木が植わった樹林のようになっていました。
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住宅地を抜け来たにまっすぐの道がないところは横に外れ朱雀高校の前をまた北に。
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珍しく田圃の中に出ました。ちょっと東に外れていたのでコース修正で左折。
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本来の朱雀大路と思われる位置まで戻りました。先ほどからさらに西に薬師寺や唐招提寺の林が。
唐招提寺の東塔解体工事の養生建屋が眺められます。その向こうに西塔も。
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唐の長安城を模した条坊制を敷いた平城京。この辺りは建物が無く朱雀大路の右端を歩く感じ。
写真の左端ぐらいが大路の左端です。綺麗な区画の田圃です。役人の屋敷が建っていたようです。
都跡(みあと)中学校の横を通って中学校の北端で西に左折、丁度大路の道幅分を歩いて今度は北へ右折。
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大路の外れ皇太神宮という神社で小休止。また元に戻って朱雀門へ。
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積水化学の正門前の道路(三条大路)を渡って工場の東側に沿って北へ。
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阪奈道路(二条大路)まで来ると平城宮跡(国指定特別史跡)の入り口に到着です。
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朱雀門の手前から現在の二条通りまでの200mほど、朱雀大路が復元されています。路面幅は約72m。
朱雀大路に面する築地塀も一部分だけ復元されています。
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広い道幅の朱雀大路は道際に柳が植えられ、その外に側溝があり築地塀が建っていたそうです。
朱雀門が見えてきました。
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大路の道幅の中ほどに下つ道側溝と表示されています。
下つ道は藤原京からまっすぐ北に延びる道の一つです。ここまで伸びてきています。
下つ道を3倍ほどに拡幅されており、平城京ではこの道を中心に占地・設計されたようです。
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羅城門跡から約4Km平城宮の正門、朱雀門に来ました。
外国使節を送迎したり、正月には天皇が出向いて新年の祝賀を行ったりしたそうです。
門の左右には高さ6mの築地が130haの宮城を取り囲んでいたそうです。
発掘された基壇を示す基礎や平面規模を知る柱位置、出土した瓦をもとに想定を加えて復元されています。
平安神宮の朱雀門の二重門、法隆寺中門の基本構造、部材の大きさは東大寺転害門、鴟尾は唐招提寺等々を
参考にして復元されたそうです。現在の建築法規にかなう伝統的木構造とのマッチングがなされています。
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朱雀門の手前左手に右手で何かを指示した人物像が立っていました。
生涯を平城宮跡の保存にささげた棚田嘉十郎という人です。指差す方向には第二次大極殿跡があります。
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これで前半は終わりです。

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