2015.6.14
昨日は古市古墳群へ。今日は百舌鳥古墳群と堺の旧町を歩きました。
一等三角点が設置されている日本一低い山(6.97m)にも登り?ました。
前半のコースは昨年、ほぼ同コースで百舌鳥古墳群を見学したのでその時の報告がここにあります。
昨日は古市古墳群へ。今日は百舌鳥古墳群と堺の旧町を歩きました。
一等三角点が設置されている日本一低い山(6.97m)にも登り?ました。
前半のコースは昨年、ほぼ同コースで百舌鳥古墳群を見学したのでその時の報告がここにあります。
今回のコース
南海高野線中百舌鳥駅~もずの楠~ニサンザイ古墳~百舌鳥八幡宮~御廟山古墳~いたすけ古墳
~履中天皇陵~堺市博物館~仁徳天皇陵~堺市役所~反正天皇陵~方違神社~堺伝統産業会館
~利晶の杜~蘇鉄山~堺旧灯台~南海本線堺駅
2回に分けて報告します。
方違神社までは百舌鳥古墳群を見学した時とほぼ同じコースでしたが、今日はさらに堺の旧町を歩きます。
方違いさんの鳥居を抜けて堺大和高田線を西に南海高野線を陸橋で跨ぎ阪神高速の高架下をくぐります。
この高速道路が旧の堺の町の環濠を埋め立てて走っています。いよいよ旧町に入りました。
堺伝統産業会館を目指しますが途中、材木町の妙国寺の前を通ります。
左手に大きな妙国寺の塀に沿って歩いていると道を挟んで反対側に宝珠院がありこの石碑が。
慶応4年(1868)に起った堺事件で切腹した土佐藩士11人の墓があるそうです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/51/ac/j/o0640048014444416065.jpg?caw=800)
妙国寺の門前に来ました。ここで土佐藩士11人が切腹したそうです。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/89/11/j/o0640048014444416076.jpg?caw=800)
更に行くと右手に本受寺がありました。説明板によると西宗真(洗礼名ルイス)の菩提所だとか。
ルイスは、元は肥前大村の領主大村喜前の家臣だったのですが、堺に移り、フィリピンへも度々渡航する
豪商となった人物で寺内に家康から受けた渡海御朱印状が残されているそうです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/25/c2/j/o0640048014444416094.jpg?caw=800)
石碑がいくつも目につき、旧町の雰囲気が漂います。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/24/13/j/o0640048014444416119.jpg?caw=800)
阪堺電車が走る熊野街道の広い通りに出ました。街道を左折、南下して直ぐ、堺伝統産業会館に着きました。
刃物、線香、注染和晒、緞通、昆布、自転車、和菓子などの体験・学習・展示コーナー、堺の逸品、名産品を
販売するショップ、堺刃物ミュージアムなど堺の伝統産業に触れることができます。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/35/95/j/o0640048014444416134.jpg?caw=800)
堺伝統産業会館を出て戎公園 (ザビエル公園)を右に見ながらさらに南へ。
戎公園はフランシスコ・ザビエルが堺に立ち寄った際、もてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡付近に計画され
公園開設が、ザビエル来航400年であったことから、それを記念してザビエル公園と言われるそうです。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/06/79/j/o0640048014444416155.jpg?caw=800)
竹内街道のスタート地点、大小路筋を横断。与謝野晶子の生家跡の碑がある所まで来ました。
ここは以前に竹内街道を歩いた時に立ち寄りました。その時の報告がここにあります。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/29/f9/j/o0640048014444416170.jpg?caw=800)
もう一つ南の通りが広い中央環状線フェニックス通りです。右て斜め方向にガラス張りの大きな建物が。
「さかい利昌の杜」です。千利休と与謝野晶子の名前を採った建物です。そちらに向かいます。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/3f/20/j/o0640048014444416184.jpg?caw=800)
利昌の杜の前に堺で生まれわび茶を大成した千利休の屋敷跡の碑が立った空間がありました。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/e6/d9/j/o0640048014444416199.jpg?caw=800)
さかい利昌の杜を少しだけ覗いてみました。ロビーのような観光案内展示室です。
堺の歴史文化資源を紹介するとともに、市内の観光周遊のための、さまざまな情報を提供する施設です。
江戸時代後期の「泉州堺絵図」の陶板フロアマップや、昭和初期の宿院界わいのジオラマ模型がありました。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/4c/3c/j/o0640048014444416215.jpg?caw=800)
今度はフェニックス通りを西に港の大浜公園の方を目指します。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/54/9e/j/o0640048014444416232.jpg?caw=800)
やっと大浜公園の入り口に着きました。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/e0/9a/j/o0640048014444416246.jpg?caw=800)
この公園に蘇鉄(ソテツ)山があります。登山口?に来ました。登山開始。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/74/d8/j/o0640048014444416272.jpg?caw=800)
あっという間に山頂です。築山にはすぐそばの御蔭山から移された一等三角点があります。
標高6.97mです。幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場だそうです。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/40/73/j/o0640048014444416300.jpg?caw=800)
蘇鉄山から下山。旧堺燈台を見に行くことに。旧堺港は奥まったヨットハーバーのようになっていました。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/28/e9/j/o0640048014444416321.jpg?caw=800)
阪神高速湾岸線の下をくぐって行くと旧堺灯台が建っていました。
明治10年築造された高さ11.3mの六角錘形の灯台で、埋め立てが進み役割を終えた後は、
堺のシンボルとして、マンホールの蓋にもデザインされ、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台です。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/ac/72/j/o0640048014444416332.jpg?caw=800)
高速道路と旧灯台。旧港の沖にはどんどん埋め立てられて海は遠くに。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/cd/49/j/o0640048014444416569.jpg?caw=800)
南蛮貿易を忍ぶ壁画が向かいの工場の塀に描かれています。因みにマンホールの蓋に描かれているような
南蛮貿易で栄えたけれど南蛮船の入港は長崎では許されても堺港には入港できなかったようです。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/63/12/j/o0640048014444416592.jpg?caw=800)
引き返して南海堺駅前で反省会へ。途中にあった石碑です。堺事件の現場のようです。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/e9/c8/j/o0640048014444416607.jpg?caw=800)
天誅組上陸地跡の石碑もあり、当時の攘夷運動が忍ばれます。
土佐藩の吉村寅太郎らは堺港にそそぐ、ここ堅川ほとりに上陸、大和方面に向かい、天誅組を名乗りました。
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/91/ea/j/o0640048014444416630.jpg?caw=800)
後半はここまでです。歴史散歩のような今日のハイキングは約20Kmは歩いたと思います。
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南海高野線中百舌鳥駅~もずの楠~ニサンザイ古墳~百舌鳥八幡宮~御廟山古墳~いたすけ古墳
~履中天皇陵~堺市博物館~仁徳天皇陵~堺市役所~反正天皇陵~方違神社~堺伝統産業会館
~利晶の杜~蘇鉄山~堺旧灯台~南海本線堺駅
2回に分けて報告します。
方違神社までは百舌鳥古墳群を見学した時とほぼ同じコースでしたが、今日はさらに堺の旧町を歩きます。
方違いさんの鳥居を抜けて堺大和高田線を西に南海高野線を陸橋で跨ぎ阪神高速の高架下をくぐります。
この高速道路が旧の堺の町の環濠を埋め立てて走っています。いよいよ旧町に入りました。
堺伝統産業会館を目指しますが途中、材木町の妙国寺の前を通ります。
左手に大きな妙国寺の塀に沿って歩いていると道を挟んで反対側に宝珠院がありこの石碑が。
慶応4年(1868)に起った堺事件で切腹した土佐藩士11人の墓があるそうです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/51/ac/j/o0640048014444416065.jpg?caw=800)
妙国寺の門前に来ました。ここで土佐藩士11人が切腹したそうです。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/89/11/j/o0640048014444416076.jpg?caw=800)
更に行くと右手に本受寺がありました。説明板によると西宗真(洗礼名ルイス)の菩提所だとか。
ルイスは、元は肥前大村の領主大村喜前の家臣だったのですが、堺に移り、フィリピンへも度々渡航する
豪商となった人物で寺内に家康から受けた渡海御朱印状が残されているそうです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/25/c2/j/o0640048014444416094.jpg?caw=800)
石碑がいくつも目につき、旧町の雰囲気が漂います。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/24/13/j/o0640048014444416119.jpg?caw=800)
阪堺電車が走る熊野街道の広い通りに出ました。街道を左折、南下して直ぐ、堺伝統産業会館に着きました。
刃物、線香、注染和晒、緞通、昆布、自転車、和菓子などの体験・学習・展示コーナー、堺の逸品、名産品を
販売するショップ、堺刃物ミュージアムなど堺の伝統産業に触れることができます。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/35/95/j/o0640048014444416134.jpg?caw=800)
堺伝統産業会館を出て戎公園 (ザビエル公園)を右に見ながらさらに南へ。
戎公園はフランシスコ・ザビエルが堺に立ち寄った際、もてなした豪商日比屋了慶の屋敷跡付近に計画され
公園開設が、ザビエル来航400年であったことから、それを記念してザビエル公園と言われるそうです。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/06/79/j/o0640048014444416155.jpg?caw=800)
竹内街道のスタート地点、大小路筋を横断。与謝野晶子の生家跡の碑がある所まで来ました。
ここは以前に竹内街道を歩いた時に立ち寄りました。その時の報告がここにあります。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/29/f9/j/o0640048014444416170.jpg?caw=800)
もう一つ南の通りが広い中央環状線フェニックス通りです。右て斜め方向にガラス張りの大きな建物が。
「さかい利昌の杜」です。千利休と与謝野晶子の名前を採った建物です。そちらに向かいます。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/3f/20/j/o0640048014444416184.jpg?caw=800)
利昌の杜の前に堺で生まれわび茶を大成した千利休の屋敷跡の碑が立った空間がありました。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/e6/d9/j/o0640048014444416199.jpg?caw=800)
さかい利昌の杜を少しだけ覗いてみました。ロビーのような観光案内展示室です。
堺の歴史文化資源を紹介するとともに、市内の観光周遊のための、さまざまな情報を提供する施設です。
江戸時代後期の「泉州堺絵図」の陶板フロアマップや、昭和初期の宿院界わいのジオラマ模型がありました。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/4c/3c/j/o0640048014444416215.jpg?caw=800)
今度はフェニックス通りを西に港の大浜公園の方を目指します。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/54/9e/j/o0640048014444416232.jpg?caw=800)
やっと大浜公園の入り口に着きました。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/e0/9a/j/o0640048014444416246.jpg?caw=800)
この公園に蘇鉄(ソテツ)山があります。登山口?に来ました。登山開始。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/74/d8/j/o0640048014444416272.jpg?caw=800)
あっという間に山頂です。築山にはすぐそばの御蔭山から移された一等三角点があります。
標高6.97mです。幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場だそうです。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/40/73/j/o0640048014444416300.jpg?caw=800)
蘇鉄山から下山。旧堺燈台を見に行くことに。旧堺港は奥まったヨットハーバーのようになっていました。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/28/e9/j/o0640048014444416321.jpg?caw=800)
阪神高速湾岸線の下をくぐって行くと旧堺灯台が建っていました。
明治10年築造された高さ11.3mの六角錘形の灯台で、埋め立てが進み役割を終えた後は、
堺のシンボルとして、マンホールの蓋にもデザインされ、現地に現存する日本最古の木造洋式灯台です。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/ac/72/j/o0640048014444416332.jpg?caw=800)
高速道路と旧灯台。旧港の沖にはどんどん埋め立てられて海は遠くに。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/cd/49/j/o0640048014444416569.jpg?caw=800)
南蛮貿易を忍ぶ壁画が向かいの工場の塀に描かれています。因みにマンホールの蓋に描かれているような
南蛮貿易で栄えたけれど南蛮船の入港は長崎では許されても堺港には入港できなかったようです。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/63/12/j/o0640048014444416592.jpg?caw=800)
引き返して南海堺駅前で反省会へ。途中にあった石碑です。堺事件の現場のようです。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/e9/c8/j/o0640048014444416607.jpg?caw=800)
天誅組上陸地跡の石碑もあり、当時の攘夷運動が忍ばれます。
土佐藩の吉村寅太郎らは堺港にそそぐ、ここ堅川ほとりに上陸、大和方面に向かい、天誅組を名乗りました。
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/20/choopthai/91/ea/j/o0640048014444416630.jpg?caw=800)
後半はここまでです。歴史散歩のような今日のハイキングは約20Kmは歩いたと思います。
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