2013.5.22
泉南市埋蔵文化センターフィールドワーク「歴史倶楽部」の平成25年度のテーマは「古道を訪ねる-竹内街道」になりました。
日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波より京に至る大道(おおじ)を置く」と記されている
日本最古の「官道」。どうやらこれが現在の竹内(たけのうち)街道の大部分と重なっているそうです。
1,400年たった今年、地元の各地では各種のイベントが開催される予定もあるようです。
大陸文化を伝え、シルクロードの終点として歴史を見続けてきたこの街道を堺市から明日香村まで
実際に歩いて当時の人々の生活や時代を体感することになりました。
先生にお聞きしたことを復習をかねて整理してみたいと思います。聞き違いもあるかも知れませんが・・・
泉南市埋蔵文化センターフィールドワーク「歴史倶楽部」の平成25年度のテーマは「古道を訪ねる-竹内街道」になりました。
日本書紀の推古天皇21年(613年)の条に「難波より京に至る大道(おおじ)を置く」と記されている
日本最古の「官道」。どうやらこれが現在の竹内(たけのうち)街道の大部分と重なっているそうです。
1,400年たった今年、地元の各地では各種のイベントが開催される予定もあるようです。
大陸文化を伝え、シルクロードの終点として歴史を見続けてきたこの街道を堺市から明日香村まで
実際に歩いて当時の人々の生活や時代を体感することになりました。
先生にお聞きしたことを復習をかねて整理してみたいと思います。聞き違いもあるかも知れませんが・・・
今回のコースは竹内街道のスタート地点ともいえる堺市から
松原市まで歩きました。
全コース
南海堺駅~与謝野晶子生家跡~開口(あぐち)神社~堺市役所21F展望ロビー~長曽根神社
~金岡神社御旅所~金岡神社~大泉緑地~中高野街道交差点~近鉄河内松原駅
南海堺駅~与謝野晶子生家跡~開口(あぐち)神社~堺市役所21F展望ロビー~長曽根神社
~金岡神社御旅所~金岡神社~大泉緑地~中高野街道交差点~近鉄河内松原駅
三回に分けて報告します。その1は堺市駅から堺市役所まで。まだ竹内街道という名称は出てきません。
堺の町は伝統のある歴史と文化を誇りとする大都市になっています。
遣明船や自由都市・貿易都市で室町時代後半から江戸時代初期にかけて黄金の日々を謳歌しました。
貿易都市。自治都市として繁栄し当時の町は現在の街並みの地下に眠っています。
南海電鉄の堺駅から南海堺東駅まで続く大小路(おおしょうじ)と呼ばれる駅前道路を東に向かいます。
駅前には赤い大きなモニュメントがあります。
メキシコの彫刻家。セバスティアンが、不死鳥と銅鐸をイメージして制作デザインしたそうです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/4f/ca/j/o0640048014444330708.jpg?caw=800)
この大小路はかつては摂津国と和泉国の国境となっていた道路です。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/7c/1b/j/o0594048014444330734.jpg?caw=800)
駅前からすぐ、環濠にあたる内川に架かる吾妻橋を渡ります。
ここからが環濠都市としての堺の旧町に入ったことになるようです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/c4/f5/j/o0640048014444330754.jpg?caw=800)
堺環濠都市遺跡は南北約3Km、東西約1Kmの広さを内川等の環濠で囲まれていたそうです。
駅前から5分ほど歩いたところで南北の大道、紀州街道と交差しています。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/a9/33/j/o0640048014444330763.jpg?caw=800)
南の方(右)に曲がって与謝野晶子の生家跡へ行きました。電柱のない広い通りで阪堺線が走っています。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/ff/0c/j/o0640048014444330783.jpg?caw=800)
交差点から100mくらいで、生家跡に着きました。道路手前が生家の裏手、反対側が表だそうです。
今はこの広い道になってしまっています。向こうの端に紀州街道が通っていて街道に面した、「駿河屋」
という老舗和菓子屋だったそうです。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/b8/00/j/o0640048014444330798.jpg?caw=800)
元の交差点まで戻り紀州街道を横断します。広い道路です。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/ad/62/j/o0640048014444330821.jpg?caw=800)
道路の東端に旧街道が遊歩道のように残されています。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/11/ef/j/o0640048014444330856.jpg?caw=800)
紀州街道を渡って数十メートル。開口(あぐち)神社に行くためにアーケードのある商店街へ右折します。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/41/d7/j/o0640048014444330869.jpg?caw=800)
5分ほどで商店街の途中にある神社の鳥居(西側入口)まで来ました。
開口神社は神功皇后創建の塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)を祀る神社で、湊を護る神で住吉神社と
関係が深く住吉奥の院とも呼ばれました。「開口」の名は皇后が神饌を奉ったところ初めて口を開いたという
伝えからといわれています。その後、平安時代後期に原村の素盞嗚神(すさのおのかみ)、木戸村の生国魂神
(いくたまのかみ)が合祀され開口村の三村が合わさったことで三村明神とも称されました。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/bd/b0/j/o0640048014444330879.jpg?caw=800)
正面に東側の入口の赤い鳥居が見えますが、元々は正面に西(海側)向きに本殿があったようです。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/f8/c4/j/o0640048014444330897.jpg?caw=800)
西の鳥居をくぐったすぐ右に海会寺金龍井という井戸がありました。
現在、南旅篭町東にある海会寺が天正13年(1585)頃までこの付近にあった時に掘られた名水井戸です。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/5a/68/j/o0640048014444330912.jpg?caw=800)
参道にあった大きな親子連れの石造の狛犬です。文久3年(1863)の銘があります。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/63/01/j/o0640048014444330929.jpg?caw=800)
延享元年(1744)の銘があるこれも大きな石灯籠で三村の文字が彫られています。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/9e/b0/j/o0640048014444330946.jpg?caw=800)
宝永7年(1709)の銘がある手水鉢もあります。いろいろなものがすべて大きめのサイズです。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/d0/9e/j/o0640048014444330958.jpg?caw=800)
本殿の拝殿です。奈良時代に行基が境内に念仏寺を建立し、空海が宝塔を建てたことから「大寺」とも呼ばれ、
寺がなくなった後、今でも「大寺さん」の名で親しまれているようです。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/f6/84/j/o0640048014444330969.jpg?caw=800)
本殿の裏に建っていた末社です。これ以外にもたくさんの末社がありました。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/2e/d4/j/o0640048014444330986.jpg?caw=800)
拝殿の前に並べられた力試し、力競べをするために使われた力石です。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/b6/45/j/o0640048014444331012.jpg?caw=800)
明治時代には境内に市役所、府立三国ヶ丘高校や泉陽高校、市立第一幼稚園なども置かれたようです。
開口神社の最大のお祭りは9月に行われる八朔祭だそうで、布団太鼓がかつぎだされます。
その模様がこの動画ページで紹介されていました。
東の鳥居から境内を出て、北へまた大小路へ戻り更に東へ。堺市役所へ向かいます。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/60/96/j/o0640048014444331036.jpg?caw=800)
堺環濠都市遺跡の東側の環濠跡。埋められてしまった土居川の地点に来ました。上は阪神高速道路の高架です。
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/b4/9b/j/o0640048014444331048.jpg?caw=800)
ここで環濠都市であった堺の旧町から出ます。
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/91/d8/j/o0640048014444331058.jpg?caw=800)
阪神高速の下をくぐると五叉路の交差点に出ます。陸橋でこれを越えてさらに東へ。高層の市役所が見えます。
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/af/5d/j/o0640048014444331079.jpg?caw=800)
堺市役所に着きました。
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/35/71/j/o0336044814444331094.jpg?caw=800)
坂市役所の21階が展望ロビーになっています。ロビーには堺の歴史が紹介されています。
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/8b/bf/j/o0640048014444331113.jpg?caw=800)
360度の回廊式の大展望ロビーです。仁徳天皇陵等の緑が目前に、遠くかすかに二上山が見えるのですが。
黄砂なのか霞んでいます。これから先、今年歩く竹内街道はその二上山を越えていきます。
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/90/06/j/o0640048014444331135.jpg?caw=800)
百舌鳥古墳群の紹介もあります。
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/45/61/j/o0640048014444331156.jpg?caw=800)
かつて日本一の生産を誇った鉄砲の展示などもありました。
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/77/ba/j/o0640048014444331170.jpg?caw=800)
今回の報告はここまでです。次回はいよいよ竹内(たけのうち)街道に入ります。
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遣明船や自由都市・貿易都市で室町時代後半から江戸時代初期にかけて黄金の日々を謳歌しました。
貿易都市。自治都市として繁栄し当時の町は現在の街並みの地下に眠っています。
南海電鉄の堺駅から南海堺東駅まで続く大小路(おおしょうじ)と呼ばれる駅前道路を東に向かいます。
駅前には赤い大きなモニュメントがあります。
メキシコの彫刻家。セバスティアンが、不死鳥と銅鐸をイメージして制作デザインしたそうです。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/4f/ca/j/o0640048014444330708.jpg?caw=800)
この大小路はかつては摂津国と和泉国の国境となっていた道路です。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/7c/1b/j/o0594048014444330734.jpg?caw=800)
駅前からすぐ、環濠にあたる内川に架かる吾妻橋を渡ります。
ここからが環濠都市としての堺の旧町に入ったことになるようです。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/c4/f5/j/o0640048014444330754.jpg?caw=800)
堺環濠都市遺跡は南北約3Km、東西約1Kmの広さを内川等の環濠で囲まれていたそうです。
駅前から5分ほど歩いたところで南北の大道、紀州街道と交差しています。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/a9/33/j/o0640048014444330763.jpg?caw=800)
南の方(右)に曲がって与謝野晶子の生家跡へ行きました。電柱のない広い通りで阪堺線が走っています。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/ff/0c/j/o0640048014444330783.jpg?caw=800)
交差点から100mくらいで、生家跡に着きました。道路手前が生家の裏手、反対側が表だそうです。
今はこの広い道になってしまっています。向こうの端に紀州街道が通っていて街道に面した、「駿河屋」
という老舗和菓子屋だったそうです。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/b8/00/j/o0640048014444330798.jpg?caw=800)
元の交差点まで戻り紀州街道を横断します。広い道路です。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/ad/62/j/o0640048014444330821.jpg?caw=800)
道路の東端に旧街道が遊歩道のように残されています。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/11/ef/j/o0640048014444330856.jpg?caw=800)
紀州街道を渡って数十メートル。開口(あぐち)神社に行くためにアーケードのある商店街へ右折します。
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/41/d7/j/o0640048014444330869.jpg?caw=800)
5分ほどで商店街の途中にある神社の鳥居(西側入口)まで来ました。
開口神社は神功皇后創建の塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)を祀る神社で、湊を護る神で住吉神社と
関係が深く住吉奥の院とも呼ばれました。「開口」の名は皇后が神饌を奉ったところ初めて口を開いたという
伝えからといわれています。その後、平安時代後期に原村の素盞嗚神(すさのおのかみ)、木戸村の生国魂神
(いくたまのかみ)が合祀され開口村の三村が合わさったことで三村明神とも称されました。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/bd/b0/j/o0640048014444330879.jpg?caw=800)
正面に東側の入口の赤い鳥居が見えますが、元々は正面に西(海側)向きに本殿があったようです。
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/f8/c4/j/o0640048014444330897.jpg?caw=800)
西の鳥居をくぐったすぐ右に海会寺金龍井という井戸がありました。
現在、南旅篭町東にある海会寺が天正13年(1585)頃までこの付近にあった時に掘られた名水井戸です。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/5a/68/j/o0640048014444330912.jpg?caw=800)
参道にあった大きな親子連れの石造の狛犬です。文久3年(1863)の銘があります。
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/63/01/j/o0640048014444330929.jpg?caw=800)
延享元年(1744)の銘があるこれも大きな石灯籠で三村の文字が彫られています。
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/9e/b0/j/o0640048014444330946.jpg?caw=800)
宝永7年(1709)の銘がある手水鉢もあります。いろいろなものがすべて大きめのサイズです。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/d0/9e/j/o0640048014444330958.jpg?caw=800)
本殿の拝殿です。奈良時代に行基が境内に念仏寺を建立し、空海が宝塔を建てたことから「大寺」とも呼ばれ、
寺がなくなった後、今でも「大寺さん」の名で親しまれているようです。
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/f6/84/j/o0640048014444330969.jpg?caw=800)
本殿の裏に建っていた末社です。これ以外にもたくさんの末社がありました。
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/2e/d4/j/o0640048014444330986.jpg?caw=800)
拝殿の前に並べられた力試し、力競べをするために使われた力石です。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/b6/45/j/o0640048014444331012.jpg?caw=800)
明治時代には境内に市役所、府立三国ヶ丘高校や泉陽高校、市立第一幼稚園なども置かれたようです。
開口神社の最大のお祭りは9月に行われる八朔祭だそうで、布団太鼓がかつぎだされます。
その模様がこの動画ページで紹介されていました。
東の鳥居から境内を出て、北へまた大小路へ戻り更に東へ。堺市役所へ向かいます。
![イメージ 19](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/60/96/j/o0640048014444331036.jpg?caw=800)
堺環濠都市遺跡の東側の環濠跡。埋められてしまった土居川の地点に来ました。上は阪神高速道路の高架です。
![イメージ 20](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/b4/9b/j/o0640048014444331048.jpg?caw=800)
ここで環濠都市であった堺の旧町から出ます。
![イメージ 21](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/91/d8/j/o0640048014444331058.jpg?caw=800)
阪神高速の下をくぐると五叉路の交差点に出ます。陸橋でこれを越えてさらに東へ。高層の市役所が見えます。
![イメージ 22](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/af/5d/j/o0640048014444331079.jpg?caw=800)
堺市役所に着きました。
![イメージ 23](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/35/71/j/o0336044814444331094.jpg?caw=800)
坂市役所の21階が展望ロビーになっています。ロビーには堺の歴史が紹介されています。
![イメージ 24](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/8b/bf/j/o0640048014444331113.jpg?caw=800)
360度の回廊式の大展望ロビーです。仁徳天皇陵等の緑が目前に、遠くかすかに二上山が見えるのですが。
黄砂なのか霞んでいます。これから先、今年歩く竹内街道はその二上山を越えていきます。
![イメージ 25](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/90/06/j/o0640048014444331135.jpg?caw=800)
百舌鳥古墳群の紹介もあります。
![イメージ 26](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/45/61/j/o0640048014444331156.jpg?caw=800)
かつて日本一の生産を誇った鉄砲の展示などもありました。
![イメージ 27](https://stat.ameba.jp/user_images/20190606/19/choopthai/77/ba/j/o0640048014444331170.jpg?caw=800)
今回の報告はここまでです。次回はいよいよ竹内(たけのうち)街道に入ります。
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